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2月, 2015の投稿を表示しています

「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)

 『帝国の慰安婦』(朴裕河、朝日新聞出版、2014年)については「慰安婦」問題をめぐる報道を再検証する会のブログでも情報発信をしてゆく予定になっているが、こちらのブログではあくまで私個人の責任においていくつかコメントしていきたい。
 まず最初にとりあげたいのは、『帝国の慰安婦』の24ページで言及されているある写真について、である。著者はその写真について、次のように言っている。
「占領直後とおぼしい風景の中に和服姿で乗り込む女性。中国人から蔑みの目で見られている日本髪の女性」。おそらくこの言葉が、あの十五年戦争における「朝鮮人慰安婦」を象徴的に語っていよう。なぜ朝鮮人慰安婦が、「日本髪」の「和服姿」で日本軍の「占領直後」の中国にいたのか。そしてなぜ「中国人から蔑みの目で見られてい」たのかも、そこから見えてくるはずだ。
 これまでの慰安婦をめぐる研究や言及は、このことにほとんど注目してこなかった。しかし、この点について考えない限り、朝鮮人慰安婦をめぐる記憶の闘いは永遠に続くだろう。(……)では「このこと」に注目するとどのように「記憶の闘い」を終わらせることができるのか。その点についての著者の考えは本書を読了しても私にはまったくわからなかったのだが、それはまた別の機会に譲ろう。いまは本書の出発点とも言える、少なくとも著者自身によって「象徴」として重視されているこの写真についてのみ述べることにしよう。

 さて、上記引用を読んだ方は、「和服を着て日本髪を結った朝鮮人慰安婦が、占領されたばかりの中国の街に乗り込む」場面を思い浮かべられたはずである。実はこの一節は、千田夏光氏の『従軍慰安婦』(講談社文庫、1984年。著者が参照しているのは1973年に双葉社から刊行された『“声なき女”八万人の告発 従軍慰安婦』)のうち、千田氏が毎日新聞社刊の写真集『日本の戦歴』の編集作業に携わっているときのことを記した部分に依拠している。千田氏の記述は次のようなものである。
 ところがその作業の中に数十枚の不思議な女性の写真を発見したのである。兵隊とともに行軍する朝鮮人らしい女性。頭の上にトランクをのせている姿は朝鮮女性がよくやるポーズである。占領直後とおぼしい風景の中に和服姿で乗り込む女性。中国人から蔑みの目で見られている日本髪の女性。写真ネガにつけられている説明に“慰安婦”の文字はなかった。が、こ…

『週刊金曜日』2月6日号掲載拙稿への補足(2)

 『産経新聞』の連載「歴史戦」の第9部が2月15日の一面トップで始まったことで少し間が空いてしまいましたが、『週刊金曜日』の1026号(2月6日号)に掲載された拙稿への補足の続きです。今回は、植村隆氏へのバッシングのもう一つの焦点である、1991年12月25日付の記事について。こちらについても金学順さんが「キーセン学校」に通っていたことなどを書かなかったことが「捏造」だとされています。
 こちらの記事が執筆された時点では金学順さんを支援していたのが太平洋戦争犠牲者遺族会ですから、その点だけをとれば植村氏と義母との関係を根拠とした「捏造」主張は成立する余地があります。その代わり、この時点では金学順さんに関する情報が一部の支援者だけが知りうるものではなく、訴状や記者会見での発言を通じてオープンになっているという事情があります。では、他紙は金学順さんについてどう報じていたのでしょうか?


写真はいずれも1991年12月6日の『読売新聞』夕刊紙面より。太平洋戦争犠牲者遺族会による日本政府の提訴を伝える記事ですが、金学順さんについて書かれているのはこれだけです。「キーセン学校」のことも書かれていなければ「養父」のことも書かれていません。いずれも訴状には書かれていることです。なぜ『読売』のこの記事は「捏造」だと非難されないのでしょうか? 多くの情報から限られた紙面にどれを掲載するかは、各記者や各紙のニュース価値に関する判断によって決まります。その判断において、『朝日』ないし植村氏が他紙と大きく違っていたという事実はないわけです。金学順さんが「慰安所」に到着して「しまった」と思ったのは「養父」とは別れた後のことです。金学順さんの訴えは、それ以降始まった日本軍「慰安所」での被害に関するものですから、「それ以前」の事柄に高いニュース価値を見出さなかったのは至極当然のことです。 逆に「慰安所」到着以前の事情に日本の右派が執着していることは、性暴力被害に関する彼らのバイアスを反映しているのです。

ブックマークコメントの錯誤について

 それ自体としては大した話ではないのですが、現在進行形で歴史修正主義者が展開しているプロパガンダと関わることなので、一応コメントしておきます。今朝公開した「『見なかった』証言の詐術」という記事に対するはてなブックマークコメントについてです。
bahrelghazali そういえば、産経が「慰安婦を理由に、アメリカの日本人児童がいじめられている」という記事に対し、日本の左翼は「そんな話は知らない」という僅かな証言だけを根拠に、いじめは存在しないと断定したっけ。(http://b.hatena.ne.jp/entry/nogawam.blogspot.com/2015/02/blog-post_16.html) このコメントがはらむ誤りは2つあります。秦郁彦氏が言っているのは「見ていない」という証言をいくら集めても「確実な目撃者が二人現れたら」火事は起きたのだと判断して当然だ、ということです。しかし「慰安婦を理由に在米日本人の子供がいじめられている」に関しては「確実な目撃者」あるいは体験者はただの一人も現れていません。いるのは「いじめられたと言ってる人がいる」と言ってる人、だけです。秦氏は「火事が起きたらしいよ」と言っている人を「確実な目撃者」とはみなさないでしょう。当然のことながら。
 第二に、秦氏が目黒区で起きた火事や犯罪についての情報をまとめて報告される立場にないのと同じように、産経の記事に登場する第6師団の下士官は師団が関わった虐殺についての情報をまとめて報告されるような立場にはいなかった、という点です。目黒区の消防署が「火事の報告は受けていません」と述べたのであれば、それは普通の区民が「火事は見ていない」と述べるのとは全く違った意味を持ちます。そして右派メディアが言うところの「慰安婦を理由としたいじめ」なるものについては、学校、警察、日本の大使館など(もしそういう事実があるのなら)関連情報が集まってくるはずの機関に問い合わせた人が「そんな報告は受けていない」との返答を得ているのです。グレンデール市でたまたま出くわした市民に「こんな話、知りませんか?」と尋ねて「いや、知らないなぁ」という返事をもらったので「いじめはなかった」と結論付けた、なんて話しではありません。自分が直接に見聞したこと以外には非公式な伝聞等でしか知らない立場の人間と、多数の人間から寄せられる報…

歴史修正主義の手法に見られるパターン

 心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。
第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説
エイズをめぐる大規模な議論?(164ページ〜)
「否認主義のジャーナリストは、HIVがエイズの原因かどうかについて、公の場で公正な議論を行うことをしつこく要求する」「否認主義者から見れば、エイズ学者は真実の発覚を恐れて、HIVがエイズの原因かどうかについての議論を避けている、ということになるようだ」「一方、エイズ学者から見れば、HIVがエイズの原因かどうかという問題はすでに解決済みであり、改めて議論すれば、それを未解決と見なすことになるのだ」
コメント:河村たかし・名古屋市長が南京大虐殺否定発言の問題化後に言い訳として用いたのもこの論法。ネットにも「検証するくらいいいじゃないか」みたいな発言はゴロゴロしているが、しかしそんなことを言う人々が過去の「議論」の蓄積をきちんと参照したためしはない。
科学を宗教として描く(173ページ〜)
「否認主義には宗教的含みが無数に見られ、特に主流のエイズ学について説明する際には、しばしば宗教がかった言い方をする。エイズ学は『正統派(オーソドクシー)で、「HIV=エイズの教義(ドグマ)」を奨励し、HIVがエイズの原因かどうかに疑問を持つ科学者を「破門する」、といった具合だ」「科学を宗教のように扱うのは、科学的証拠を単なる信仰のひとつとして片づけたいからだ」(原文のルビをカッコ書きに改めた)
コメント:「正統派」といったタームは日本ではさほどポピュラーではないが、「…

「見なかった」証言の詐術

 『産経新聞』が連載「歴史戦」の第9部で「兵士たちの証言」を引き合いに出して南京大虐殺否定論を展開しています。2月15日の第1弾では熊本第6師団の下士官として南京攻略戦に従軍した人物が登場しています。
 しかし記事中にもあるように、第6師団はなにぶん師団長が戦犯裁判で死刑になっているため身内をかばう意識が強く、この師団の関係者の「見なかった」「なかった」証言は一番あてになりません。偕行社の『南京戦史資料集』にも第6師団だけ「不法殺害を思わせる手記、日記の類い」が載っていない。これについて秦郁彦氏は「連隊会は第六師団を担当した編集委員の努力に感謝したという話が伝わっている」としています(『南京事件 増補版』、290-291ページ)。
1984年に『朝日新聞』が第6師団歩兵第23連隊(都城)の兵士の日記に南京戦での虐殺が記されているのを報じた際には、連隊会が“犯人探し”をした、という実績もあります。日記には「近ごろ徒然なるままに罪も無い支那人を捕まえて来ては生きたまま土葬にしたり、火の中に突き込んだり木片でたたき殺したり」「今日もまた罪のないニーヤを突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする」など、「無抵抗の民間人」を殺害したことが記されていました。 この日記について秦氏は「都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(中略)もいるし、確実と考えてよいと思う」、としています(『昭和史の謎を追う』、文春文庫、上巻196ページ)。
  もちろん、だからといって個々の「見なかった」証言が虚偽とも限りません。「筆者は東京・目黒区の一角に住んでいるが、朝刊を開いて、前夜、近所で火事や犯罪が起きているのを知り、びっくりすることが多い。新聞がなければ、聞かれても「知らない」「見ていない」と答える事例がほとんどであろう。その種の証言を苦労して山ほど積みあげても、火事の確実な目撃者が二人現れたら、シロの主張は潰れてしまうに決まっている。」というのはまたしても秦郁彦氏(『昭和史の謎を追う』上巻183-184ページ)。 一人の人間が直接経験できるのは歴史的な出来事の断片にすぎませんから、たまたま虐殺の痕跡など無いところしか通らなかった人間がいたとしても不思議はないのです。
 なお、南京占領後に第11軍司令官として第6師団を指揮下において…

『週刊金曜日』2月6日号掲載拙稿への補足(1)

 『週刊金曜日』の1026号(2月6日号)に掲載された拙稿は、元『朝日新聞』記者の植村隆さんが『週刊文春』を発行する文藝春秋社ほかを提訴したことに対する右派メディア上の反応をとりあげたものですが、右派メディアが口を揃えるかのように主張しているのが「言論人ならなぜ言論で反論しないのか?」ということでした。このような反応は、植村氏が元新聞記者であり現在も非常勤ながら大学教員であるため、提訴前から予想していたものです。そんなに「言論」の場での決着を望むなら、『週刊文春』は「論争で負けた場合には西岡力氏と連帯して植村さんの遺失利益を全額補償する」とでも宣言すればいいと思うのですが。

 一見するともっともらしいこの主張は、1月26日に『朝日新聞』を提訴した原告団の中に多数の言論人が含まれていることですっかり説得力を失ってしまいましたが、記事中で私が強調したかったポイントはむしろ、「歴史修正主義者に言論の場での反論をすることに意味があるのか?」というものでした。この点について、多少補足しておきます。植村さんが書いた記事に関して右派が攻撃の対象としているのは「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という記述などに見られる、いわゆる「慰安婦と挺身隊の混同」、それから金学順さんが「キーセン学校」に通っていた経歴を書かなかったこと、という2点です。これら2つがいずれも、植村さんの義母である梁順任さんが関わっていた訴訟を有利にするための「捏造」だというわけです。

 ここで関連する出来事の時系列を確認しておきましょう。


1991年8月10日 植村記者(当時)が韓国挺対協を介して金学順さんの証言テープを聴取1991年8月11日 『朝日新聞』大阪本社版に記事掲載(東京本社版は翌11日に短縮版を掲載。したがって縮刷版には11日の記事は載っていません。)1991年9月19日 梁順任さんと金学順さんが初めて対面。ただしこの時点では「あいさつ」をしただけ。1991年11月25日 植村記者が弁護団による金学順さんへの聞き取りに同行、取材1991年12月6日 金学順さんら太平洋戦争犠牲者遺族会が日本政府を提訴1991年12月25日 金学順さんについての植村記者の記事が『朝日新聞』大阪本社版に掲載
梁順任さんが関わっているのは挺対協ではなく太平洋戦争犠牲者遺族会ですから、まず8月11日の記事に関しては「義母の訴訟…

「ネット右翼」の道徳概念システム(4)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。

四 募金活動や(イラクでの)人質へのバッシング、「祭り」の対象となった人物への誹謗中傷や個人情報の暴露などは「ネットにおける道義心の欠如」の現われとして語られることもあるが、むしろ「ネット右翼」は過剰に道徳的であると言うことができる。募金活動への批判は「両親が自宅などの資産をまず処分すべき」といった主張を含んでいたし、イラク人質事件の際も政府の勧告を無視して危険地帯に渡航し、社会に「迷惑をかけた」ことが非難の対象となったのであった。
 とはいえ、刑事事件については「被害者(遺族)の立場」を重んじることを主張しながら、従軍慰安婦問題に関しては被害者を「嘘つき」「金目当て」呼ばわりすることができる道徳観とはいったいいかなるものなのか、理解に苦しむ…これが「ネット右翼」の行動をダブルスタンダードのような道徳的欺瞞として説明したくなる理由であろう。最後にこの点を通じて、「ネット右翼」現象を理解するための手がかりを探ってゆきたい。

 「被害者」に対する矛盾した態度と見えるものを首尾一貫した態度として解釈することを可能にするのが、アメリカの哲学者ジョージ・レイコフの「モラル(道徳)概念システム」論である(注5)。彼はアメリカにおける保守派とリベラル派との政治的対立を次のような理論的枠組みによって説明しようと試みている。
(注5) ジョージ・レイフコ、『比喩によるモラルと政治--米国における保守とリベラル--』(小林良彰・鍋島弘治朗訳)、木鐸社。また(注2)で言及した拙稿も参照されたい。

(A) 要素的な道徳的価値をみれば、保守派とリベラル派は同じ価値を共有している。しかしながら、要素的諸価値が異なるしかたで構造化されることにより、まったく異なる道徳的判断を導くことになる。

(B) 国家と市民の関係は「家族メタファー」を通じて理解されるが、保守派は「厳しい父親」を中心とした家族メタファーを用いるのに対して、リベラル派は「慈しむ両親」を中心としたメタファーを用いている。その結果、保守派のモラル概念システムでは「強さ」に関わる道徳的価値に高い優先順位…

「ネット右翼」の道徳概念システム(3)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。
三 前置きが長くなったが、ここで「ネット右翼」が特にどのようなトピックをめぐって活発に発言しているのかを見てみることにしよう。ただし、以下のリストは網羅的であることを目指してはいない。
(1)歴史認識・東アジア情勢
 中国、韓国、北朝鮮に「特定アジア」という蔑称が用いられ、これら三国についての否定的な情報を虚実取り混ぜ消費、再生産している。戦争責任はもっぱら「特定アジア」が言い立てているというのが彼らの認識であり、それゆえ安倍前首相がアメリカの圧力によって「従軍慰安婦」についての自説を表向き撤回したことは「中国によるロビー活動の結果」であるといった陰謀論的解釈を施される。
(2)軍事・憲法九条
 九条「護憲」派や反戦運動への態度が冷笑的であるのは特に説明を要しないだろう。注目すべきは例えば米軍が使用する劣化ウラン弾や白燐弾を非人道的兵器であるとする主張への強固な否定論が存在することである。これは、旧軍による戦争犯罪の否認が単に戦前の日本を美化したいという欲求だけに根拠をもっているわけではなく、戦争被害一般に対するシニカルな態度が存在していることをうかがわせる。
(3)朝日・岩波的なもの
 前記のように「日本の言論界は左傾していた」というのが彼らの発言を支える大きな前提となっており、その象徴として朝日新聞や「岩波文化人」が頭ごなしの否定の対象となる。このような前提の下では、例えば南京事件否定論が非正統的な主張として扱われれば扱われるほど(注3)より魅力的なものに見えてしまう、という現象が起きる。
(注3) 旧日本軍の戦争犯罪を認めることに到底積極的とは言えない日本政府も、南京事件否定論を歴史教科書に記載することは認めておらず、外務省ホームページの「歴史問題Q&A」にも「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難」という但し書きつきながら「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と記載されている。
(4)声をあげる少数派
 フェミニズム、労働組合(…

「ネット右翼」の道徳概念システム(2)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。
二 ここではいわゆる「ネット右翼」を考察の対象とするわけであるが、その可能性と意義について予備的な考察が必要である。
 というのも第一に、「ネット右翼」なる概念はネット上であまり評判がよくないからである。批判の第一点は、「ネット右翼」なるものは実体としては存在しない、というものである。ネット上の投稿は大部分が匿名で行なわれるものであり、その発言を現実の個々人へと結びつけることは実際的には不可能である。ネット上に右派的な発言が多数みられるからといってその背後に多数の右派が存在するとは言えず、まして右派組織があるとは言えない。ネット上で右派的な発言をする者が実生活において右派的な思想をもちそうした思想に基づいて行動していると考える根拠はない、というものである。関連する批判として、「ネット右翼」が「2ちゃんねる」のような特定の掲示板と安易に結びつけられて語られることへの批判がある。リベラルな見解を表明したブログなどに否定的なコメントが殺到し対応が追いつかなくなり、場合によってはブログの閉鎖に追い込まれるという、いわゆる「炎上」、特定個人や団体への批判的・嘲笑的コメントがいくつかの掲示板やブログを中心として大量に投稿され個人情報の暴露にまでエスカレートする「祭り」といった現象がマスメディアでもとりあげられたことで、「炎上するのはリベラルなブログだけではない」といった反発も起きるようになった。
 たしかに「2ちゃんねる」はマルチスレッド掲示板の集合体であり、分野ごとに「○○板」と呼ばれる掲示板があり、そこには「○○スレ」と呼ばれる多数のスレッドが含まれている。そして「板」により、また「スレ」により発言傾向に大きな違いがあるというのは事実である。またとりたてて政治的というわけではない話題をめぐって「炎上」や「祭り」が発生するのもその通りである。しかし「2ちゃんねる」のいくつかの「板」が右派的発言を多数集める「場」となっていること自体は事実であり、そうした発言の背後に個々人の思想を実体として想定しなくてもそれらの発言のロジック、そうした発言…

「ネット右翼」の道徳概念システム(1)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。

一 いわゆる「ネット右翼」について考えるうえで示唆的な二つの出来事に言及することから始めたい。
 2007年5月、読売テレビが制作する番組「たかじんのそこまで言って委員会」において、出演者の一人橋下徹弁護士が光市母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求を行なうよう、視聴者にアピールする発言を行なった。その後日弁連によれば4000件を超える懲戒請求が行なわれ、弁護団のうち4人が橋本弁護士に対して損害倍総請求訴訟を起こすという事態になっている。懲戒請求を呼びかける橋下弁護士の発言はネットのあちこちで引用され、番組を録画した動画が「Youtube」や「ニコニコ動画」といったサービスを通じてアップロードされた。掲示板やブログなどで橋下弁護士を支持する発言が多数なされ、インターネット上では「懲戒請求テンプレート」なるものが公開されてもいる。この橋下発言を支持する意見の要点の一つは、差し戻し審における弁護団(被告)の主張が「荒唐無稽」であり、「遺族感情」への配慮を欠く、というものであった。
 もう一つは2007年11月2日、東京地裁が下した判決である。これは亜細亜大学の東中野修道教授が著書『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、1998年)において、南京大虐殺の生存者であり証言者として知られている中国人女性、夏淑琴さんを被害者とは別人、すなわち偽の被害者、証言者であると記述し名誉を毀損したとして、夏さんが著者と出版社に対し損害賠償を請求した訴訟である。判決は、夏さんを「別人」と主張するに至る東中野の論拠が「学問研究の成果に値しない」と評価、訴訟費用などをあわせ400万円の支払いを命じた。ところで、この東中野修道を出演させ自説を述べさせ、南京事件否定論の宣伝に一役買ったテレビ番組がある。ほかならぬ「たかじんのそこまで言って委員会」である。この出演シーンもネットで繰り返し言及され、動画がアップロードされ、ネット上の南京事件否定派に力を与えてきた。
 刑事犯罪とその処罰をめぐる問題、そして歴史認識問題(特に旧日本軍の戦争犯罪をめぐる問題)の二つが「ネッ…

「朝鮮人虐殺から『在特会』への記憶の連鎖」

『週刊金曜日』第957号(2013年8月30日号)に掲載された拙稿「朝鮮人虐殺から『在特会』への記憶の連鎖」の元原稿を、同誌の許可を得て公開いたします。雑誌掲載分とは一部の表現が異なっていること、また2013年8月時点での認識に基づく記事であることをご承知おきください。


関東大震災朝鮮人虐殺から排外デモまで—変わらない統治者のまなざし
 在日コリアンへのヘイトスピーチを街頭で叫んできたネット右翼、自称「行動する保守」諸団体への社会的関心が今年に入ってから高まっている。こうした変化それ自体は歓迎すべきことであるが、その一方で懸念すべきことも少なくない。

日本政府の「排外デモ」観 本稿で問題にしたいのは、安倍内閣や警察当局が排外デモにむけるまなざしである。五月七日に参議院予算委員会でヘイトスピーチへの認識を問われた安倍首相は、日本人は「和を重んじる」国民であったはずだ、などと答弁した。また七月一日に韓国外相と会談した岸田文雄外相は、新大久保などでのヘイトスピーチへの対処を求められて「法秩序を守っていく」と返答したと報じられている。ヘイトスピーチは「和」や「秩序」を乱すふるまいだというわけである。警察の警備方針も「行動する保守」側と反対する市民側とを分断して街頭の「秩序」を維持することを最優先したものである。こうした警備方針からすれば、排外デモもそれに反対する行動も等しく「秩序」を脅かす要因として扱われる。警察のまなざしは、六月一六日の新大久保でのデモに際して、喧嘩両成敗といわんばかりに「行動する保守」側、カウンター側の双方から四名ずつ逮捕したことに象徴的にあらわれている。

虐殺をうんだ「不逞鮮人」視 ここで私たちが想起すべきなのは、関東大震災時の朝鮮人虐殺の背景として、「不逞鮮人」を秩序の撹乱者とする当時の統治者たちのまなざしがあったことである。震災発生をうけた戒厳令宣告時の内務大臣水野錬太郎と警視総監赤池濃はいずれも三・一独立運動直後の朝鮮半島で朝鮮総督府の官僚として治安行政に携わってきた人物であった。震災後に発生し虐殺を生んだデマは、治安当局の「不逞鮮人」イメージを具現化したものに他ならなかったのである。

 現代の治安行政もまた在日外国人に同じようなまなざしを向けていることは、二〇一〇年一〇月にインターネットに流出した警視庁公安部の捜査資料(在日イスラム教徒を対象と…