* 月刊論壇誌における「歴史戦」キャンペーンについてはすでに別の著作で分析を試みたので、参照していただきたい。
能川元一+早川タダノリ『憎悪の広告—右派系オピニオン誌「愛国」『嫌中・嫌韓』の系譜』合同出版、2015年、特に第9章と第12章。
山口智美、能川元一、テッサ・モーリス−スズキ、小山エミ『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』、岩波書店、2016年、第1章と「おわりに」。なお「歴史戦」に関わる右派グループの運動や、日本政府の関与については同書の他の章をご参照いただきたい。では「歴史戦(争)」とはなにか? 「歴史戦」シリーズの口火を切った4月1日の「「歴史戦」第1部 河野談話の罪(1)外交 事なかれ主義の象徴」(東京本社版朝刊、以下特に断りのない限り同様)は、次のように結ばれている。
偽りの友好にまどろんできた日本が腕をこまぬいている間に、中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった。今後、日本は事なかれ主義と決別し、砲弾ではなく情報と言葉を駆使して戦う「歴史戦」に立ち向かわなければならない。この時点で『産経』がもっとも重視していた「歴史問題」とは、日本軍「慰安婦」問題を指す。第一次安倍政権時代の2007年、アメリカ下院など各国の議会で日本政府に「慰安婦」問題の解決を促す決議が可決された。また2013年にニュージャージー州パリセイズ・パーク市で「慰安婦」被害者追悼碑が設置され、2013年にカリフォルニア州グレンデール市で韓国ソウル市の日本大使館(現在は大使館の建て替え工事のため、隣接するビルに移転中)前の「平和の少女像」を模した少女像が設置されたのを先駆けとして、欧米諸国にも「慰安婦」メモリアルを建立する動きが始まった。このように、日本軍「慰安婦」問題に象徴されるアジア・太平洋戦争で旧日本軍が行った加害行為を記憶しようとする運動が欧米の政府や市民にも波及したこと、こうした事態が「中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった」とされているのである。後述する単行本『歴史戦—朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』では、「歴史戦」の取材班キャップ有元隆志政治部長が「ここまで日本が貶められる事態になったのはなぜか」「慰安婦問題はそもそもなぜ起きたのか」が「歴史戦」シリーズ開始当時のテーマだったとしている。 2007年当時、安倍内閣と日本の右派はアメリカ下院での「慰安婦」決議阻止を目論んだが失敗に終わった。「強制連行」を否定する安倍首相の国会答弁や、右派の言論人や政治家が『ワシントン・ポスト』紙に出した意見広告はむしろ可決を後押しする結果になったのだが、右派はまったく逆の総括をした。日本政府が中国や韓国が〝日本を貶める〟ために展開しているプロパガンダに対抗した情報発信を怠っているから、国際社会が〝捏造された「慰安婦」問題〟を信じ込むのだ、と。 第一次安倍政権を継いだ福田康夫内閣、麻生太郎内閣はいずれも約1年の短命政権に終わり、2009年には民主党(当時)政権が成立する。このとき、『産経』社会部のツイッターアカウント(@SankeiShakaibu)が「産経新聞が初めての下野なう」とツイートしたことは、同紙の自民党への肩入れぶりを証しするものとしてインターネット上で話題となった(「なう」は英語の "now" をひらがな書きしたもので、たったいま起こったこと、たったいま行ったことを投稿する時に使われていたネット用語)。『産経』にとっては不本意な〝野党暮らし〟を経て再び安倍晋三氏が首相に返り咲いたことで、再び積極的な情報発信のチャンスが訪れた……これが「歴史戦」シリーズを生んだ情勢認識だったのだ。 問題はこの「歴史戦」が一メディアのキャンペーンにとどまらない、ということだ。アメリカその他での「慰安婦」モニュメント設置運動に対しては、日本政府が執拗に妨害工作を行ってきた。その背後には菅義偉官房長官の「慰安婦像設置の動きは、わが国政府の立場と相いれない。極めて残念なことだ」(『産経新聞』2017年3月29日朝刊)といった発言に現れている安倍政権の認識がある。だが、いったいなぜ「慰安婦」像の設置が日本政府の立場と相いれないのか、筋の通った説明はできるのだろうか? 歴代内閣が踏襲してきた河野談話には、次のような「わが国政府の立場」が記されている。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。だとすれば、欧米諸国にも「慰安婦」モニュメントを建てる動きが広がっていることについては、日本政府が歓迎の声明を出し除幕式には大使や領事が出席してもおかしくないはずだ。 菅官房長官の発言を理解するためには、次の2つの前提を導入するしかない。欧米での「慰安婦」モニュメント建立は韓国(や中国)の差し金であり、そのモニュメントの目的は日本を非難することである、という2つだ。これが『産経』の「歴史戦」キャンペーンが立脚する認識と完全に一致していることは明らかであろう。 2. 「歴史戦」シリーズ掲載状況 産経新聞社のニュース検索サービスによれば、2014年4月1日のシリーズ開始以来、2019年7月31日までに計401件の「歴史戦」シリーズ記事が掲載されている(東京本社版、特に断りがない限り以下同様。なお大阪本社版では同じ期間に352件とやや少なくなっている)。「歴史戦」シリーズには第1部〜第20部までの連載記事と単発の記事とがある。連載の掲載期間(途中、休載日を挟んでいることもある)とタイトルは次のとおりだ。タイトルだけでは内容が分かりづらいものについては、主な題材を( )内に付記した。
第1部 2014年4月1日〜4月5日 「河野談話の罪」 第2部 2014年5月20日〜5月25日 「慰安婦問題の原点」 第3部 2014年6月22日〜6月26日 「慰安婦・韓国との対話」 第4部 2014年7月26日〜7月28日 「利用される国連」 第5部 2014年8月23日〜8月25日 「「朝日検証」の波紋」 第6部 2014年8月30日〜9月3日 「「主戦場」米国」 第7部 2014年10月26日〜10月30日 「崩れ始めた壁」(日本軍「慰安婦」問題) 第8部 2014年12月24日〜12月28日 「南京「30万人」の虚妄」 第9部 2015年2月15日〜2月18日 「南京攻略戦 兵士たちの証言」 第10部 2015年4月11日〜4月16日 「終わらぬプロパガンダ」(南京大虐殺) 第11部 2015年7月2日〜7月7日 「もう一つの慰安婦問題」 第12部 2015年8月15日〜16日 「戦後70年談話」 第13部 2015年9月3日〜9月5日 「戦後70年抗日行事」 第14部 2015年12月15日〜17日 「ユネスコ記憶遺産」(南京大虐殺) 第15部 2016年2月20日〜2月22日 「日韓合意の波紋」 第16部 2016年5月1日〜5月4日 「南京が顕彰した男」 第17部 2017年4月11日〜4月13日 「新たな嘘」(強制労務動員、軍艦島) 第18部 2017年6月5日〜6月7日 「反日ネットワーク」(「慰安婦」問題、沖縄基地問題、軍艦島) 第19部 2017年12月12日〜12月14日 「結託する反日」(「対日包囲網」、科研費) 第20部 2018年4月11日〜4月14日 「孔子学院」
2016年以降はかなり連載のペースが落ちているとはいえ、5年を超える長期シリーズとなっている。
これら「歴史戦」連載の掲載記事とテーマを眺めるだけでも、過去6年間のキャンペーンの大まかな流れをつかむことができる。大きな節目は、『朝日』が2014年の8月5日、6日に過去の「慰安婦」報道を検証する特集を掲載し、一部記事を撤回したことだ。第5部がこの「朝日検証」を扱い、第6部が「「主戦場」米国」となっている。これは『産経』の「慰安婦」問題認識を端的に現している。『産経』にとって「慰安婦」問題の最大の焦点は〝慰安婦狩り〟を行ったとしていた吉田清治証言であり、『朝日』が吉田証言に依拠した記事を撤回した以上、国内的には「慰安婦」問題は解消した――あるいは『産経』を始めとする右派の勝利に終わった、ということなのだ。とすれば、残る問題は同盟国であるアメリカに中韓の反日キャンペーンが浸透していることであり、今後の「歴史戦」の「主戦場」はアメリカだ、ということになる。これ以降、「歴史戦」連載はアメリカを中心とする海外での動向により大きな関心を向けるようになる。 また、朝日バッシングが一段落ついた頃から、南京事件否定論が連載に登場している点にも注目されたい。「慰安婦」問題での主観的勝利の余勢を駆って、南京事件についても改めて攻勢に出ようとしているわけだ。第14部でとりあげられているユネスコ記憶遺産(「世界の記憶」)でも、南京事件が「慰安婦」問題とともに〝戦線〟とされている。 「慰安婦」モニュメントへの攻撃と並んで政府与党と『産経』の連携を伺わせたのが第19部での科研費(科学研究費助成事業)攻撃だ。「反日」的な研究に科研費が支出されているとして具体的な研究者名を挙げた記事を執筆したのは「歴史戦」シリーズの執筆メンバーで当時官邸キャップだった田北真樹子記者(現在は『正論』編集長)。年が明けた2019年2月には自民党の杉田水脈衆議院議員――落選中の「歴史戦」活動が安倍総裁の目にとまり2017年の衆院選で自民党から立候補・当選した――が国会質疑においてやはり具体的な研究者名を挙げて科研費の助成を受けた研究を「捏造」と非難。その後名指しされた研究者のうち4人から民事訴訟を起こされている。
なお、連載第6部までの内容は再構成されたうえで、2014年の10月に産経新聞社名義で単行本『歴史戦—朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経セレクト)としてまとめられている(以下「単行本」と呼ぶ)。おおむね第3章が連載第1部に、第4章が第2部、第5章が第3部、第6章が第4部、第2章が第5部、第7章が第6部にそれぞれ対応している。第1章は「歴史戦」シリーズとは別に14年9月8日に掲載された「慰安問題偽証「吉田証言」」と題する計5本の記事をまとめたもので、まえがきと序章は書き下ろしだ。 3. 「河野談話」攻撃 『産経』の歴史修正主義的な主張、とりわけ南京大虐殺と日本軍「慰安婦」問題に関する主張の誤りについてはすでに多くの指摘がなされてきているので、ここで一つ一つとりあげて批判することはしない。歴史修正主義的な言説の特徴をよく表しているいくつかの点に絞って紹介することにしたい。 第1部が「河野談話の罪」と題されているのは、この当時右派が河野談話への攻撃を盛んに行っていたことと関連している。『産経新聞』は14年1月9日の社説「「河野談話」合作 見直しはいよいよ急務だ」で談話の見直しを主張した。その理由は第一に、談話の作成過程で韓国の意向をうけた修正があったこと(「合作」)、第二に16人の元「慰安婦」に対する聞き取り調査が「極めてずさん」だったことだとされている。 その後、談話発表当時の官房副長官だった石原信雄氏を参考人招致するなど右派の攻勢は続くが、菅義偉官房長官が3月10日の記者会見で「河野談話を見直すことは考えていない」と発言、安倍晋三首相も14日の参院予算委で「安倍内閣で見直すことは考えていない」と答弁。このような事態の推移に対して『産経』は3月12日の社説「「河野談話」検証 結論ありきは納得できぬ」で「根拠ない談話で日本の名誉は著しく傷つけられている。結論ありきの検証では、国民も納得できまい。談話の見直しは急務である」と異議を唱えるが、結局は河野談話の作成経緯を検証するチームを政府が組織することで決着する。 安倍政権のもとでの「河野談話」撤回に期待をかけていた『産経』としては不本意な決着だったであろう。「歴史戦」シリーズの重要な目標に河野談話への攻撃が含まれていたのは当然と言える。 第1部の第1回「外交 事なかれ主義の象徴」(14年4月1日)は次のように始まっている。
まともな裏付けもないまま一方的に日本を糾弾したクマラスワミ報告書と、それに対する日本政府の事なかれ主義的な対応は、歴史問題に関する戦後日本外交のあり方を象徴している。つまり日本はまったく故のない糾弾を国際社会で受けているのに、日本政府は反論しようとしないので、「過去を誇張して世界に広め」ようとする中国や韓国の思い通りになっている、というのだ。そしてその事なかれ主義の象徴が「強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話」(下線は引用者)であり、「世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった」というのである。したがって「相手の宣伝工作」に反撃する「歴史戦」を戦わねばならないのであり、そのためには〝不戦敗〟の象徴である河野談話を見直さねばならない、ということになる。 たったこれだけの部分に、『産経』の「慰安婦」問題報道の特徴がいくつも現れている。一つは「用語のすり替え」だ。先の引用で下線を引いた部分に注目していただきたい。「強制連行」というのは「強制性」の一つの形態に過ぎないのだから、仮に「強制連行」を示す証拠がなくても「強制性」を認定することはできる。そして河野談話には「強制的」という単語こそ用いられているものの、「強制連行」という単語は用いられていない。 これについては興味深い事実がある。1993年8月5日、日刊全国紙五紙はそろって河野談話を一面で報じたが、『朝日新聞』が「慰安婦「強制」認め謝罪」という見出しをうったのに対し、『読売新聞』は「政府、強制連行を謝罪」、『産経新聞』は「強制連行認める」という見出しを付けているのだ。同日の『朝日』は元「慰安婦」たちが「連行の「強制性」をぼかした表現でしか認めようとしない、日本政府への不満を口々に語った」と報じている。河野談話と「強制連行」を強く結びつける報道をしたのは『朝日』よりも、「慰安婦」問題に関連して『朝日』バッシングを繰り広げた『読売』『産経』の方だと言わざるを得ない。 もう一つの特徴は、過去の特定の時点に執着してそれ以降の研究の進展を無視するというものだ。金学順(キム・ハクスン)さんの名乗り出と吉見義明・中央大学教授(当時)による資料発掘によって日本軍「慰安婦」問題が戦後補償問題における課題として浮上したのは1991年8月から1992年1月のことだ。河野談話やクマラスワミ報告はそれからほんの数年間の間に出された、暫定的な報告でしかない。日本軍「慰安婦」制度はアジア・太平洋戦争の全期間、広大な戦線に広がった問題であり、ただでさえ全容の解明が容易ではないものだ。また、被害者にしても加害者にしても正直に証言することが困難な性暴力にかかわる問題でもある。敗戦直後に日本政府・日本軍は大量の公文書を隠滅したことも全容解明を困難にした。さらに当時の日本政府の対応も、事実の徹底的な解明ではなく問題の封じ込めをねらったものであることが今日では明らかになっている。2013年10月13日朝刊で、『朝日』は外務省が1993年7月にフィリピン、インドネシア、マレーシアの各大使館に対して、元「慰安婦」被害者に対する調査を避けるよう指示する外交公文を送っていたことを報じた。
旧日本軍の慰安婦問題 が日韓間で政治問題になり始めた1992~93年、日本政府が他国への拡大を防ぐため、韓国で実施した聞き取り調査を東南アジアでは回避していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材で分かった。韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾するものだ。 「河野談話」が出る直前の93年7月30日付の極秘公電によると、武藤嘉文外相(当時)は日本政府が韓国で実施した被害者からの聞き取り調査に関連し、フィリピン、インドネシア、マレーシアにある 日本大使館に「関心を徒(いたずら)に煽(あお)る結果となることを回避するとの観点からもできるだけ避けたい」として、3カ国では実施しない方針を伝えていた。(後略)研究者や支援団体による調査では、これら東南アジア地域では『産経』などが考える意味での「強制連行」が度々起こっていたことが明らかになっている。「強制連行」が起こっていた地域での調査を意図的に回避していたのだから、「強制連行」の証拠が乏しかったのは当たり前だろう。 このような事情を考えれば、問題が浮上してから間もなく出された河野談話やクマラスワミ報告の内容に不十分な点があるのは驚くに値しない。肝心なのは、その後の調査研究において河野談話やクマラスワミ報告の根幹を揺るがすような発見があったのか、それとも大筋ではこれらの認識が裏付けられていったのか、だ。しかし『産経』の「慰安婦」問題報道は新たな研究成果から目を背け、初期の調査結果の不備をことさら取り上げることによって問題全体を否認するものとなっている。 第1部の第2回「河野談話の罪(2)蒸し返す韓国、シナリオ崩壊」(4月2日)では直接河野談話がターゲットになっている。『産経』の主張は(A)河野談話は「慰安婦」問題の決着のため韓国政府との間で内容についてすり合わせを行ったものであり「真相究明は二の次だった」、(B)日本政府がおこなった元「慰安婦」への聞き取り調査は「ずさん極まりない」ものだった、の2点に要約できる。 まずは(B)について。実はこの主張は、『産経』が河野談話を貶めるために行ったもう一つの主張によって、事実上無意味なものとなっている。この記事では93年2月に外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」から、「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られるめどが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」という一節が引用されている(下線は引用者)。記事は「こうした調査報告書のずさんさも、聞き取り調査自体が初めから「儀式」だったと思えば得心がいく」としているが、そもそも聞き取り調査が「儀式」に過ぎなかったのであれば、その調査内容が精緻を極めたものであれずさん極まるものであれ、結局談話の内容には影響がないはずだ。 このことは、その後同年6月20日に発表された河野談話作成過程等に関する検討チームの報告書、「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」* によっても裏付けられる。「4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯」と題するセクションでは、次のように聞き取り調査の位置づけが報告されている(9ページ、下線は引用者)。
(7)聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも、それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで、日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり、同結果について、事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた(略)。事実究明よりは誠意を示すことに主眼があり、聞き取り調査が終わる前に談話の原案はすでにできていた、というのだ。聞き取り調査の内容が談話の文言を方向づけたわけではないのだから、どれだけ聞き取り調査の内容にケチをつけたところで河野談話を否定する根拠にはなりようがない。歴史修正主義の主張が体系性を欠いており、攻撃対象(この場合は河野談話)を否定するために使えそうな材料ならなんでも場当たり的に利用しようとすることがよくわかる。
* http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000042166.pdf次に(A)についてはどうだろうか。本節の冒頭でも述べた通り、「歴史戦」シリーズ開始に先立って『産経』は河野談話が日韓の「合作」であるとする攻撃を談話に加えていた。14年1月1日の「河野談話 日韓で「合作」 関係者証言 要求受け入れ修正」は次のように述べる。
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府は原案の段階から韓国側に提示し、指摘に沿って修正するなど事実上、日韓の合作だったことが31日、分かった。当時の政府は韓国側へは発表直前に趣旨を通知したと説明していたが、実際は強制性の認定をはじめ細部に至るまで韓国の意向を反映させたものであり、談話の欺瞞(ぎまん)性を露呈した。この記事は河野談話の作成過程で両国政府の間に折衝があったことを新事実のように報じている。しかし、当時『産経新聞』のソウル支局長だった黒田勝弘記者は、『諸君!』の1993年10月号に「日韓合作 慰安婦「政治決着」の内幕」を寄稿、韓国側にとっては「絶対的な条件がいわゆる「強制性の認定」である」「韓国側にとっては「結論が先にあり」で、日本側がその結論に合わせてくれることを求めていた」としたうえで、河野談話作成の過程を次のように評している。
これはつまり、「強制性」を認めない調査結果は真相調査としては認められないというものである。理屈でいえば、結論が先にある真相調査は調査ではないのだが、政治的、外交的決着のためにはそういうこともありうるのだろう。また1993年8月5日の『読売新聞』朝刊に掲載された解説記事「日韓新時代構築に不可欠」は、交渉の時期こそ明らかにしていないものの「強制」概念をめぐって日韓両政府の間にやりとりがあったことを伝えている。
また、同じ「強制」という言葉でも、日本と韓国では解釈の違うこともわかった。
民間業者による元慰安婦の募集(徴用)の実態は、①力ずくで無理矢理連れていかれた②言葉巧みにだまされた③ある程度の自由意志はあったが、仕方なく応じた―などと、程度に応じて分類できる。日本では、旧軍人らが①のみを強制連行としたいのに対し、韓国側は広く、②と③も当然、強制性があると訴えたのである。この記事は韓国政府が①のようなケースだけを「強制連行」と理解していたわけではないことがすでにこの当時報じられていたことを示すという意味でも、興味深いものだ。 日本軍「慰安婦」問題が外交課題となっていた以上、その解決のために出される談話について日韓間で事前の調整が行われなかったと考える方が不自然であり、「合作」を非難するのは的はずれであろう。問題は「合作」の結果として事実認定が歪められたかどうか、だ。 この点でも、14年6月の報告書は『産経』の主張を覆すものとなっていた。韓国政府の要望を受けた文言調整について、報告書はこう述べている。
(……)日本側は、内閣外政審議室と外務省との間で綿密に情報共有・協議しつつ、それまでに行った調査を踏まえた事実関係を歪めることのない範囲で、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、談話の文言について韓国政府側と調整した。『産経』は6月21日の社説「「河野談話」検証 やはり見直しが必要だ 国会への招致で核心ただせ」などで、「慰安婦の募集」について原案の「軍の意向を受けた」が「軍の要請を受けた」に変えられたことを問題視している。森友問題を契機にメディアを賑わせた言葉をもちいるなら、民間業者が軍の意向を「忖度」しただけだ、と『産経』は主張したいのかもしれない。しかし、「意向」と「要請」の違いが事実認定の正しさにどう関わってくるのかについては、具体的な指摘はない。 河野談話発表以降に得られた知見に照らせば、『産経』の主張に根拠がないことは一層明らかになる。陸軍における「慰安所」の法的位置づけに関する永井和・京都大学教授の発見* を『産経』は完全に無視しているからだ。
* この発見は公刊されたものとしては以下で明らかにされた。
-永井和『日中戦争から世界戦争へ』思文閣出版、2007年、第5章「附 軍の後方施設としての軍慰安所」
また、この発見については以下でも簡潔に解説されている。
-永井和「軍・警察史料からみた日本陸軍の慰安所システム」、歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える』岩波書店、2014年、所収
-『朝日新聞』2015年7月2日朝刊、「(慰安婦問題を考える)「慰安所は軍の施設」公文書で実証 研究の現状、永井和・京大院教授に聞く」永井教授が明らかにしたのは、日中戦争勃発から間もない1937年9月29日、陸軍の内部規則である「野戦酒保規程」が改正されたことだ。野戦酒保とは戦地に設けられる物品販売所のことだが、この規程改正により野戦酒保に「日用品飲食物」を販売する施設に加えて「必要なる慰安施設」を設けることが可能となった。その「慰安所」は直営(「自弁」)が原則とされていたものの所管長官の認可を受ければ「請負」によることも可能とされる一方、その管理は「設置したる部隊長」によるものとされていた(原文のカタカナをひらがなに改めた)。 永井教授によればこのことが意味するのは、この改正野戦酒保規程に基づいて設置された「慰安所」はたとえ民間業者が運営するものであっても軍の正式な後方施設、兵站附属施設である、ということだ。業者や「慰安婦」は法的には陸軍の「軍従属者」として位置づけられ、憲兵による監視の対象であり軍法会議の管轄に属する立場にあった。軍の附属施設である「慰安施設」の〝従業員〟を集めるのだから、単に民間業者が軍の意向を忖度して集めるというものであるわけがない。しかし『産経』はこのような永井教授の指摘に対して、現在に至るまで一切反論できていない。これも先に述べた「過去の特定の時点に執着してそれ以降の研究の進展を無視する」という「歴史戦」シリーズの特徴の現れだ。 4. 植村隆・元『朝日新聞』記者バッシング 「慰安婦問題の原点」と題された第2部では、日本軍「慰安婦」問題に関わった個人や団体に対する攻撃が繰り広げられている。攻撃の対象となっているのは千田夏光氏、講義の教材に日本軍「慰安婦」問題に関するドキュメンタリー映画を用いた広島大准教授、植村隆・元『朝日新聞』記者、戸塚悦朗弁護士、韓国や日本の「元」慰安婦被害者支援団体だ。 歴史認識をめぐる相克を「歴史戦」ととらえるならば「敵」が存在するのは当然であり、「歴史戦」記事は一種の〝戦時プロパガンダ〟だということになる。この第2部から見て取ることができる「歴史戦」シリーズの(そして歴史修正主義的言説の)もう一つの特徴は、「敵」を貶めるためには主張の整合性など意に介さない、というものだ。 5月23日付の「慰安婦問題の原点(3)元朝日特派員「すぐ訂正でると」」は『朝日新聞』の「慰安婦」問題報道を攻撃する内容だが、この記事には次のような一節がある(〔 〕内は引用者の補足、以下同じ)。
〔平成〕3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」
大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は金学順だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「キーセン(朝鮮半島の芸妓(げいぎ)・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。
記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲(わいきょく)だといえる。その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。翌24日の「慰安婦問題の原点(4)「親北」公言する韓国の反日団体」に見られる次の一節と上の引用とを比較してみていただきたい。
挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し、〔平成〕4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると、直後に北朝鮮国営の朝鮮中央通信はタイミングを計ったようにこう伝えた。元「慰安婦」被害者が起こした訴訟は複数あるが、その直後に「〔平成〕4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると」とされていることから、この「東京地裁に提訴し」が前日の記事と同じ訴訟を指していることは間違いない。前日の記事では「「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし」としていたその同じ訴訟について、24日の記事では「挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し」としているのだ。『産経』をはじめとする右派メディアの植村元記者バッシングが、植村氏の縁戚関係—植村氏の妻が「太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部」である梁順任(ヤン・スニム)氏の娘であること―を焦点化していたことを考えるなら、これこそ〝捏造〟といっても過言ではない事実の歪曲だ。『朝日』の「慰安婦」報道検証特集掲載後の14年10月に刊行された前述の単行本でもこの記述はそっくり踏襲されている(122、127ページ)。 1991年12月に金学順(キム・ハクスン)さんら元「慰安婦」被害者3人を含む韓国の戦争被害者が日本政府に対して起こした訴訟を主導したのは、挺対協ではなく太平洋戦争犠牲者遺族会(遺族会)だった。『産経』も同年12月6日夕刊で「原告は、韓国の戦争被害者と遺族でつくる「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会員」だと報じている。植村元記者は、義母が関与するこの訴訟を有利にするために〝捏造〟記事を書いたと右派メディアからバッシングされてきた。産経新聞社が発行する月刊誌『正論』は植村元記者が『文藝春秋』2015年1月号に『文藝春秋』に寄稿した手記で取材の経緯を説明したあとの15年2月号にも、西岡力・東京基督教大学教授(当時)の次のような主張を掲載している(69ページ)。
(……)そして、他紙の記事などと違って植村氏が悪質なのは、彼が慰安婦問題の利害関係者であるということだ。義理の母らが起こした日本政府に対する裁判を結果的に有利にするような捏造記事を書いたという点で、朝日と植村氏の責任は重大だ。(……)91年8月11日の記事を植村元記者が書いた時点で金学順さんをサポートしていたのは挺対協であり、当時の『朝日』ソウル支局長経由で植村元記者に情報を提供したのも挺対協だった。その時点で、金学順さんは遺族会とは関係を持っていなかった。植村元記者には〝義母が起こした訴訟を有利にする〟という動機など持ちようもなかったのだ。 ところが、『産経』は植村元記者を攻撃した23日付の記事では「その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった」とする一方、翌24日付の記事では「挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し」としているのだ。『産経』では校閲・校正がまったく機能しておらず、「歴史戦」取材チームの間でわずか1日違いの記事の内容について意思統一がなされていないというのだろうか? まともなメディアにはあるまじきそのような可能性を排除するなら、考えられるのは〝植村元記者を攻撃する時には金学順さんらの訴訟を遺族会が主導したものとして描き、挺対協を攻撃するときには同じ訴訟を挺対協主導のものとして描いた〟ということしかない。「捏造」を疑われて当然なのはむしろ『産経新聞』の方ではないのだろうか。