2015年1月30日金曜日

「否定論は人間の尊厳にかかわる」

『週刊金曜日』第890号(2012年4月6日号)に掲載された拙稿、「否定論は人間の尊厳に関わる」の元原稿を同誌の許可を得て公開します。雑誌掲載版とは一部の表現が異なっておりますが論旨に違いはありません。なお、本稿は2012年2月20日に、河村たかし・名古屋市長が「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と発言したのをうけて執筆したものです。

河村「南京事件否定」発言の背景

 河村たかし・名古屋市長の「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言は、まったく驚くに値しないものだ。彼は2009年9月にも名古屋市議会で今回と同趣旨の発言を行なっていたし、さらに衆議院議員時代の2006年にも、同様の論法で政府に南京事件の否認を迫る質問主意書を提出(注)していたからである。

(注) 当該の質問主意書はこちらで閲覧できる。

 驚くべきはむしろ、このような主張を公然と述べる政治家が政令指定都市の市長に当選し、職にとどまり続けていること、そして元首相を含む国会議員や自治体の首長らが公然と河村発言への支持を表明することができた、ということの方なのだ。石原都知事が記者会見で河村発言への支持を表明した他、安倍晋三をはじめとする複数の国会議員、上田清司・埼玉県知事らは河村発言を支持する集会(「新しい歴史教科書をつくる会」主催)にメッセージを寄せ、衆議院議員で「百人斬り」訴訟の原告代理人でもあった稲田朋美は登壇者として集会に参加している。欧米の公人がホロコーストを否認する発言をすればどのような事態になるか、ご想像いただきたい。

 だがこの社会のマス・メディアの大半は、この驚くべきことにきちんと驚いていないのが実情だ。河村市長が勝利した市長選に際して、彼が南京事件否定論者であることに問題意識をもった報道が果たしてどれだけあっただろうか? いちおうは河村発言と見解を異にする旨を表明した日本政府だが、野田内閣にはもう一人の南京事件否定論者が入閣している。よりにもよって拉致問題担当相を務める松原仁である。だがマスメディアはこうした事実にどれだけ注意を払っていただろうか?


 以下では「河村発言」の背景にあるこの社会の問題点について考えてみたい。


なぜ否定論がいつまでも繰り返されるのか?

 河村市長による大虐殺否定の“根拠”なるものに目新しいものは一つもない。いずれも学問的な検証にはおよそ耐えないものでしかない。紙幅の都合で、ここでは安倍内閣時代に始まった「日中歴史共同研究」においても「虐殺はなかった」説が一顧だにされなかった(注)事実を指摘するに留める。

(注)共同研究において日本側座長を務めた北岡伸一氏の「『日中歴史共同研究』を振り返る」(『外構フォーラム』261号、2010年4月)を参照されたい。なおこの一文は『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』(笠原十九司編、勉誠書房、2010年)に付録・参考資料として収録されており、南京事件についての共同研究の認識は同書235ページに示されている。

 しかし南京事件否定派の目的が学問的な土俵での勝利ではなく、政治的な土俵での勝利——歴史教科書から南京事件の記述を排除することなど——であるがゆえに、彼らは決着済みの問題を執拗に蒸し返す。右派メディアが頻繁に南京事件をとりあげるのはそのためである。

 例えば月刊誌『正論』は河村発言に先立つ2012年の2月号、3月号に「虐殺はなかった 南京の平穏を証明するアメリカ人宣教師たちの記録」(上、下)と題する記事を掲載している。また、南京事件の否定を目論んだ映画『南京の真実』三部作(現時点で完成しているのは第一部のみ)の監督である水島総・チャンネル桜社長の連載「映画「南京の真実」製作日誌」は2007年の10月号から最新号に至るまで続いている。さらに、昨年6月発売の『別冊正論』第15号にも、藤岡信勝をはじめとする複数の南京事件否定論者が寄稿し、南京大虐殺は中国共産党の宣伝の産物である、といった趣旨の否定論を展開している。

 加えて、かつて雑誌『マルコポーロ』にホロコーストを否定する記事を掲載した過去を持つ花田紀凱が編集長を務める月刊誌『WiLL』でも12年2月号から「誰が「南京大虐殺」を捏造したか」と題する新連載が始まっている。南京事件否定論には書き手がおり、掲載するメディアがあり、金を出す読者がいるわけだ。

 他方、これら右派メディア以外の媒体で南京事件がとりあげられることは、河村発言のような事態でも起きない限り、きわめて稀である。決着済みの問題はとりあげない、というのはメディアの姿勢として理解できなくもない。しかしその結果、南京事件否定派の発言は盛んに発信されるのに対して、否定派を批判する発言がマスメディアでとりあげられる機会は遥かに少ない、という不均衡が生じてしまっている。

 このような不均衡がなにをもたらすか? 多くの市民は南京事件についての基本的な知識に触れる機会をもたないまま、否定派の発言に晒され続ける、という事態である。それゆえに、「30万人もの非武装の中国市民を大虐殺した、いわゆる南京事件はなかった」といった河村市長の姑息な釈明——南京事件の被害者は事件当時から一貫して捕虜・敗残兵および非戦闘員の双方と認識されている——の問題点が広く認識されずにまかり通ってしまうのである。


マスコミと知識人の責任

 歴史学的観点からは破綻が明らかな否定論が正面から批判されることもないまま、繰り返し登場するという状況を生み出している要因はいくつかあるが、ここでは二つに絞って指摘しておきたい。

 第一に、河村発言をめぐる報道においても露呈していたように、日本のマスメディアの多くは南京事件否定論が人間の尊厳に関わる事柄だという問題意識を欠いている。そうなると南京事件は「日中間の紛争の種」あるいは「右翼と左翼が争っている話題」という枠組みでしか捉えられなくなってしまう。遺族感情を盾に光市母子殺害事件の弁護団を誹謗した弁護士を人気政治家に仕立て上げたこの社会のメディアは、南京事件否定論が犠牲者の尊厳を毀損し、遺族感情を傷つけるものだという点をきちんと批判できずにいる。「犠牲者数については諸説ある」などといった注釈をお約束のように付け足すことで、「論争」の局外に留まることに汲々としているのだ。

 第二に、歴史学の成果を無視する南京事件否定論はあらゆる学問的な知への挑戦でもあるというのに、いわゆる知識人たちにそうした危機意識は希薄である。例えばデリダ研究者・評論家の東浩紀は大塚英志との対談集『リアルのゆくえ』(講談社現代新書)において、「ぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが」と断りつつも、自分は「ポストモダニスト」であるから「歴史の問題すら解釈次第」だという立場をとるとし、具体例として南京事件論争をひきあいに出している。もし東が知識人として真剣に「歴史の問題すら解釈次第」という立場にコミットしているなら、なぜ彼はホロコーストの有無も「解釈次第」だと言わなかったのか。欧米の言論状況を一般人よりもよく知りうる立場にある東なら、その方がより挑発的、挑戦的な(ただし知識人生命を賭した)発言になったであろうことを知らないはずはない。東が南京事件を利用したのは、ホロコースト否定論に対して毅然とした態度をとることが求められる欧米社会とは異なり、日本では南京事件否定論に甘い態度をとったところでほとんど問題視されないことを知っているからである。対談では大塚が「南京虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?」などと厳しく追及しているが、論壇全体としては大塚のような姿勢を示す論者は少数派であり、自説を展開する際に南京事件(論争)を利用するような振る舞いをする知識人は東一人ではない。
 「人間の尊厳」という視点を欠き、南京事件を「日中間、左右間の火種」としてのみ扱うマスメディア。ホロコーストが欧米の知識人たちにどのような知的課題をつきつけたかについては“勉強”していても足下の南京事件否定論には声を上げず、場合によっては融和的な態度すら見せる知識人たち。果たすべき責任を負った両者がその責任に応えない限り、今後も南京事件否定論は生き延び続けるだろう。