2017年8月7日月曜日

笠原十九司『日中戦争全史』

 著者の笠原十九司先生から頂戴した『日中戦争全史 上・下』(高文研)読了しました。

 上巻のサブタイトルが「対華21カ条要求(1915年)から南京占領(1937年)まで」、下巻が「日中全面戦争からアジア太平洋戦争敗戦まで」となっていることからわかるように、日中戦争の「前史」の起点を対華21カ条要求においたうえで、45年8月までの日中戦争を描き出す試み。

 著者が「はじめに」で「類書にない『日中戦争全史』であると自負」する背景には、「これまでの日本における日中戦争の歴史書では、アジア太平洋戦争開始以後の日中戦争の作戦展開がきちんと記述されていないことが多かった」(下巻229ページ)という事情がある。

 手元にある一般読者向けの戦争史でこの点を確認しておこう。『日中十五年戦争史』(大杉一雄、中公新書、1996年)はそのタイトルに反して南京攻略戦〜早期和平路線の破綻、すなわち1938年前半までしか扱われていない。『新版 15年戦争小史』(江口圭一、青木書店、1991/2001年)の第III章「日中戦争」も、38年の「国民政府を対手とせず」声明以降については約4ページで徐州作戦、武漢作戦、広東作戦と汪兆銘工作に触れているだけで、第IV章「アジア太平洋戦争」で中国戦線の記述にあてられているのが7ページほどである。
 1980年代前半に刊行された小学館の「昭和の歴史」シリーズは第5巻が『日中全面戦争』(藤原彰)、第7巻が『太平洋戦争』(木坂順一郎)という分担になっており、第5巻では武漢・広東作戦以降の海南島占領、宜昌作戦、重慶爆撃、百団大戦と三光作戦等への言及はあるが、政治史・社会史的側面の記述に多くのページが割かれていることもあり、簡潔な記述にとどまっている。
 この日中戦争/太平洋戦争という分担は多くのシリーズものに共通している。例えば岩波新書の「シリーズ日本近現代史」。『満州事変から日中戦争へ』(加藤陽子、2007年)の記述は基本的には38年の「対手とせず」声明までで、「おわりに」で三国同盟等に触れているだけである。それに次ぐ『アジア・太平洋戦争』(吉田裕、2007年)には浙贛作戦や一号作戦への言及はあるものの、中国戦線の記述に割かれたページ数はざっと数えたところで7ページ弱というところ。同時期の「戦争の日本史』シリーズ(吉川弘文館)も『満州事変から日中全面戦争へ』(伊香俊哉、2007年)と『アジア・太平洋戦争』(吉田裕・森茂樹、2007年)に分けられており、前者では細菌戦、毒ガス戦、「慰安所」制度、三光作戦などのトピックが比較的詳しくとりあげられているものの、日本軍の作戦行動についての体系的な記述はやはり武漢・広東作戦までとなっている。後者では全8章のうち中国戦線の記述にあてられているのは第V章の後半……といった具合だ。

 軍事的な観点からいえば、対米英戦争に突入した時点でもはや敗戦は決まったも同然であったし、戦線がアジア太平洋全域に拡がるため中国戦線に割くことのできるページ数も自ずと限られてしまう、という事情はあろう。また、731部隊や重慶爆撃、華北の治安戦など日中戦争の特筆すべき側面については個別の文献も少なからずあり、あれこれと文献を当たれば1941年以降の支那派遣軍の主要な作戦について知ることは可能である。しかしひと続きの歴史記述として1945年8月までの日中戦争の全体像を描いたものはこれまでなかったと言ってよく、著者の自負は十分に根拠があると思われる。分量的にも、本書では下巻の3分の1ほど(=全体の6分の1ほど)が対米英戦開戦以降の中国戦線の記述にあてられている。日本社会のアジア太平洋戦争に関する記憶の一つの問題点として、それが「アメリカに負けた戦争」としてもっぱら記憶されている、というものがある。日中全面戦争から80年という好機に刊行された本書が、こうした問題点を克服する足がかりとなることを期待したい。

 また著者がかねてから主張してきた、海軍の責任の重大さという観点は本書でも踏襲されており、それもまた本書の特徴の一つとなっている。アジア太平洋戦争に関する記憶のもう一つの問題は、いわゆる「陸軍悪玉・海軍善玉」史観に強く影響を受けていることである。近年、NHKが「海軍反省会」を題材とした番組を制作・放送するなど海軍の責任を捉え直す機運はそれなりにできつつあると思われるが、本書はこの点でも従来のアジア太平洋戦争認識を問い直すきっかけとなるものと思われる。


2017年7月27日木曜日

フォーク・サイコロジーにつけこんだ“印象操作”

 『産経新聞』の「歴史戦」連載がはらむ問題点のうち、先日刊行された『検証 産経新聞報道』所収の拙稿でとりあげなかったものについて、ここで指摘しておきたいと思います。対象となるのは、ウェブ版「産経ニュース」では2014年5月25日に掲載された【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(5)前半】「「日本だけが悪」 周到な演出…平成4年「アジア連帯会議」です。この記事に対して「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」が産経新聞社に抗議した件については、『検証 産経新聞報道』および「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」のホームページをご参照下さい。

 前記記事には、フリージャーナリスト舘雅子氏の話として、次のような記述があります。

 この会議に参加した舘は会場で迷い、ドアの開いていたある小さな部屋に足を踏み入れてしまった。  そこでは、韓国の伝統衣装、チマ・チョゴリを着た4〜5人の元慰安婦女性が1人ずつ立って、活動家とみられる日本人女性や韓国人女性の言葉を「オウム返し」に繰り返していた。  「元慰安婦に(シナリオ通りに)言わせるのは大変なのよね」  日本からの参加者がこう話すのを耳にしていた舘は、あの部屋で見たのは「元慰安婦女性たちの振り付けだ」と確信した。


『検証 産経新聞報道』でも指摘したような事情から、『産経』はこの部分に関する舘氏の“証言”の真実性・真実相当性について自信をもっていないことが伺えるのですが、ここではあえて外形的な事実としてはこの記事通りのことがあったと仮定して話を進めます。

 まず最初に指摘できるのは、「日本からの参加者」が口にしたのは「元慰安婦に言わせるのは大変なのよね」であって、「(シナリオ通りに)」は舘氏ないしは「歴史戦」取材班の推測に基づく補足にすぎない、という点です。日本からの参加者」が言わんとしたのが(シナリオ通りに)」であった、と断定する根拠はありません。「(以前の証言通りに)」や「(筋道立てて)」などを補足しても、文脈上は十分に意味が通ります。

 それはそれとして、元「慰安婦」被害者が証言の“練習”をしていたとするならば、彼女たちの証言の信憑性に影響するのではないか? と思う方は少なくないと思います。『産経』の狙いはまさにそのような印象をあたえることにあると言ってよいでしょう。

 しかしながら、これは人間のこころのはたらきに関する科学以前の“常識”(フォーク・サイコロジー)がはらむ誤りを利用した“印象操作”に過ぎません。

 まず第一に、過去の経験を想起するというプロセスは“録画しておいたビデオを再生する”ようなものではありません。HDDレコーダーなら、きちんと録画できた番組はスムーズに再生できますが、人間の記憶の場合にはそうはいきません。まして、その体験がトラウマ的なものであり、かつ社会的偏見の対象ともなる性暴力の被害経験ならなおさらです。

 第二に、人間というのはキャッチボールのように言葉をかわしながらコミュニケーションを行う動物ではあっても、見知らぬ聴衆を前に一方的に喋るようにできている動物ではない、ということです。何十人、何百人もの見知らぬ聴衆が黙ってこちらを注視してるなかで十数分、あるは数十分にわたって整然と喋り続けるなどということは、ある程度場数を踏んだ人間にしかできないことです。しかしフォーク・サイコロジーは「よく覚えている事柄なら、すらすら喋れるはずだ」「しどろもどろな証言者の証言は、信用できない」と私たちに思わせるわけです。

 実は日本の刑事裁判では、このような問題に対処するためのしくみがあります。刑事訴訟法の下位にあって刑事裁判の細目を定めている刑事訴訟規則には、つぎのような定めがあります。

第百九十一条の三 証人の尋問を請求した検察官又は弁護人は、証人その他の関係者に事実を確かめる等の方法によつて、適切な尋問をすることができるように準備しなければならない。

「準備することができる」ではありません。「準備しなければならない」とされているのです。これは報道等では「証人テスト」と呼ばれています。法廷で過去の体験について証言せよ、といきなり要求されれば多くの人間がしどろもどろになってしまうという現実を踏まえて、審理をスムーズに進行させるための規定です。なお、「誘導尋問」といえばやってはならないものと思われるかもしれませんが、刑事訴訟規則は「証人の記憶が明らかでない事項についてその記憶を喚起するため必要があるとき」には、主尋問においても誘導尋問をすることができるとしています(第百九十九条の三 三項三号)。

 もちろん、この「証人テスト」が証言者の記憶を歪めてしまう可能性は存在しています。例えば、2010年に宮城県で発生した殺人・傷害事件の裁判員裁判(判決=死刑)では、検察が共犯者に証言内容を指示した疑いが報じられたことがあります。鈴木宗男・元衆議院議員の汚職事件の裁判でも、証人テストの際に検事が証人に証言内容を指示したのではないかという疑惑が報じられました。ただし、鈴木貴子衆議院議員の質問主意書に対して、安倍内閣は2014年3月7日に、過去の事例を含めて検察の証人テストについて「検証をする必要はない」と閣議決定しています! なにしろあの安倍内閣が閣議決定したのですから、これほど確かなことはないでしょう!

 閣議決定云々はおくとしても、『朝日新聞』のデータベース「聞蔵II」で検索可能な期間に「証人テスト」をめぐる疑惑を報じた記事は19本だけ。同じ事件について複数の記事が書かれていることを考えると、暗数は考慮する必要があるにせよそうたびたび問題が起きているわけでないことがわかります。

 証言聴取者が最初から「シナリオ」を有しておりそれを証言者に押しつけるのは論外として、証言者の過去の証言を参照しながら記憶を喚起し、証言内容を整理することは一般には*不当なことではなく、そのような記憶喚起は刑事裁判の実務では当たり前に行われている以上、日本軍「慰安婦」問題についてのみ否定されねばならない理由はありません。『産経』の上記記事は不当な誘導が行われたとする根拠をまったく示せていませんから、仮に舘氏が目撃した事実(舘氏の解釈を排除した外形的事実)がこの記事通りだったとしても、元「慰安婦」被害者の証言を否定する根拠にはならないのです。

* もちろん、証言者の当初の証言が何らかの理由で事実から乖離していた場合、証言聴取者が過去の証言との整合性を要求することが結果として事実に反する証言を誘導してしまう、といった可能性はあります。



2017年7月4日火曜日

『週刊金曜日』17年6月30日号掲載拙稿への補足

 『週刊金曜日』2017年6月30日号の拙稿で触れることができなかった、『読売新聞』による『朝日』バッシング記事の問題点をここで明らかにしておきましょう。
 とりあげるのは2014年8月30日朝刊(東京)の「[検証 朝日「慰安婦」報道](3)「軍関与」首相訪韓を意識(連載)」、および中公新書ラクレ版『徹底検証 朝日「慰安婦」報道」(読売新聞編集局)のうちこの記事をもとにした部分(58〜65ページ)です。

 これらでやりだまにあげられているのは『朝日新聞』が1992年1月11日の朝刊一面トップで「慰安所 軍関与示す資料」などと報じた記事です。ご記憶のとおり、この記事については宮澤首相の訪韓を直後に控えた時期に掲載されたことが、『朝日』バッシャーたちに問題視されてきました。個人的には、新聞が“政権の打撃にならぬよう、掲載時期を配慮しよう”などと忖度することこそジャーナリズムの自壊を招くと思いますが、その点は措いておきます。

 8月30日付の記事は次のように始まっています。
 朝日新聞は、1992年1月11日朝刊1面トップで再び「スクープ」を放つ。 最も大きな横見出しは「慰安所 軍関与示す資料」だ。加えて、「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」と、合計6本もの見出しがつけられていた。
 通常はスクープでも、記事を目立たせる狙いがある見出しは3、4本程度だ。
 破格の扱いの記事は日本政府に大きな衝撃を与えた。最大の理由は、当時の宮沢喜一首相の訪韓を5日後に控えた「タイミングの良さ」にある。 朝日は今年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」で、「宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません」と説明した。だが、92年の記事は「宮沢首相の十六日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いている。宮沢訪韓を意識していたことは確実だ。
冒頭の一行で「スクープ」が「 」付きなのは、同じ記事の中でこの1月11日トップ記事のスクープ性が否定されるからです。
 記事は、防衛庁(当時)の防衛研究所図書館で、戦時中の慰安所設置や慰安婦募集に日本軍が関与していたことを示す資料が見つかったという内容だった。 現代史家の秦郁彦氏は著書「慰安婦と戦場の性」(新潮社)で、朝日が報道した資料について、「(報道の)30年前から公開」されており、「軍が関与していたことも研究者の間では周知の事実」だったと指摘した。  朝日自身、翌12日の社説で、「この種の施設が日本軍の施策の下に設置されていたことはいわば周知のことであり、今回の資料もその意味では驚くに値しない」と認めている。
「周知」のことを報じたにすぎないのだからスクープの名に値しない、と言いたいのでしょう。見出しの数まであげつらっているのは、“たいした内容でもないくせにスクープであるかのごとく騒いだ”と言いたいからかもしれません。

 ところが、です。もし『朝日』の報道内容が「周知のこと」にすぎなかったのであれば、宮澤首相をはじめ日本政府首脳もまたそのことを承知していておかしくなかったはずです。それまで日本政府は「従軍慰安婦なるものにつきまして(中略)やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のよう」(1990年6月6日参院予算委)などと答弁していたわけですが、日本政府はこのときすでにこの答弁が虚偽であることを承知していたか、あるいは承知していて当然だったことになります。

 もし宮澤首相らがこの文書の存在を承知していたのであれば、訪韓を控えたこの時期すでに対策を準備しておくのが当然であり、『朝日』の報道によって「大きな衝撃」をうけたりするのはおかしい、ということになります。もし『朝日』の報道に先立って日本政府が自ら過去の答弁を修正していれば、以後「慰安婦」問題に対する日本政府の姿勢に疑念が抱かれることもなく、日本政府がより主導的に問題の解決に当たることができた可能性は否定できないでしょう。
 また文書の存在を知りながら対策の準備を怠っていたのであれば、宮澤政権こそがその怠慢に関して責任を問われるべきであって、『朝日』の記事のタイミングを非難するのはお門違いということになります。

 もう一つの可能性として、この「周知の事実」は実のところ「周知」といえるほどには広く知られておらず、宮澤首相らは『朝日』の報道までこの文書の存在を知らなかった、というものが考えられます。実際、92年1月11日の『朝日』一面には、「こういうたぐいの資料があるという認識はあった。/しかし、昨年暮れに政府から調査するよう指示があったが、「朝鮮人の慰安婦関係の資料」と限定されていたため、報告はしていない」(「/」は原文の改行箇所、下線は引用者)という防衛庁防衛研究所図書館の資料専門官のコメントが掲載されています。もしこのコメントが真実を述べているなら、専門官らは政府答弁が虚偽であることを示す資料の存在を把握していたにもかかわらず、政府の指示が「朝鮮人の慰安婦」に限定されていたことを盾にとって隠蔽を続けていたことになります。
 この可能性をとるなら、なるほど宮澤首相らが『朝日』の報道によって「大きな衝撃」をうけたのも理解できることになりますが、『朝日』の記事のスクープ性を否定することはできなくなります。なにしろ政府首脳たちが知らない事実を明らかにし、それまでの政府見解をひっくり返す結果をもたらしたのですから。

 先日刊行された『検証 産経新聞報道』収録の拙稿でも似たようなことを指摘しましたが、『読売』は『朝日』バッシングに熱中するあまり、自家撞着を起こしているのです。『朝日』の記事は周知のことを大げさに報じただけのつまらないものだったが、宮澤政権に大きな衝撃を与えた!? それでは単に宮澤政権の首脳たちが間抜けだったということにしかならないではありませんか。

 “民間業者が勝手に連れて歩いただけ”という政府見解が虚偽であることを知っていた/知っていておかしくなかった人間は与党自民党内にもいました。自身が「慰安所」の設置に関わったことが公文書で明らかになった中曽根康弘前首相(当時)や、内務官僚出身の後藤田正晴、奥野誠亮といった議員たちです。彼らが宮澤首相に「官僚はああ答弁しておるが、実は……」と耳打ちしてさえいれば、宮澤首相が“不意打ち”を食うこともなかったわけです。政府与党内の事情を知る人々が口をつぐんで史実の隠蔽を続けようとしていたのであれば、責められるべきは『朝日新聞』ではなく、「慰安婦」問題を歴史の闇に沈めることを意図した政府与党関係者であるはずです。




2017年4月2日日曜日

「洗脳」について

 『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著、筑摩選書)所収の拙稿への補足シリーズ、第3弾です。
 拙稿では、中国帰還者連絡会(中帰連)が行ってきた加害証言活動について、右派が“彼らは洗脳されてありもしない戦争犯罪を証言しているのだ”と攻撃してきたことに言及しました。こうした攻撃は心理学的根拠を欠く、というのが拙稿の主張です。ただ、そういう結論を導く過程で、私は次のように書きました(271ページ)。
 (……)中国共産党に抑留されていた「戦犯」容疑者たちの自白が、当初において少なくとも部分的には、こんにち心理学において「洗脳」と呼ばれている手法によって導かれたであろうことは、ある意味で当然である。そもそも「洗脳」に対する学術的な関心は、朝鮮戦争における捕虜などに対して中国共産党が行った「思想改造」に由来するからだ。(……)
 ここで私が言わんとしているのは、次のようなことです。まず戦後の日本で「洗脳」と呼ばれてきたもの=中国共産党が捕虜や抑留者に対して用いた「思想改造」の手法なのであるから、撫順や太原の戦犯管理所にいた捕虜たちが「洗脳」工作を受けたのは言葉の定義上自明である。また、中帰連メンバーも自分たちが当初は「認罪」に抵抗していたことを証言していることから分かる通り、自白は「戦犯」容疑者たちの当初の意志には反するかたちで行われた、ということ。しかしながら、そのことは自白内容の真贋を直ちに左右するわけではない、ということです。紙幅の都合で書けなかったこと、またゲラ段階で削除せざるを得なかったことがあり、ここだけを読むと、あたかも中帰連の方々の認罪証言が「洗脳の結果」であるという右派の主張を支持しているかのようにも思えるかもしれませんが、そういうことではありません。

 まず「洗脳」という単語が強い反共主義という文脈の中で受容されてきた、という点を押さえておきたいと思います。以前、インターネット上でどなたかの投稿を読んで「なるほど」と思ったことがあります。「洗う」という単語にはポジティヴな意味があるのに、なぜ「洗脳」にはおどろおどろしいイメージが付きまとうのだろう? といった趣旨だったと記憶しています。
 この反共バイアスを意識しつつ考えるなら、「洗脳」的な取調べというのは実はそれほど特異なものではないことがわかるはずです。

 草稿段階ではこの点を論証するために、「虚偽自白」研究の第一人者である浜田寿美男氏の業績に言及し、浜田氏が「日本の刑事司法における取調べ手法に「洗脳」と通底するものがあることを指摘している」という一節を先に引用した段落の結び部分に入れておりました。詳しくは浜田寿美男『新版 自白の研究―取調べる者と取調べられる者の心的構図』(北大路書房、二〇〇五年)の第四〜五章、特に二七一頁を参照していただきたいと思います。日本の刑事司法は「人質司法」と呼ばれるように、長期の身柄拘束、接見の大幅な制限、長時間に及ぶ取調べによって自白が強要されることは、刑事司法に批判的関心をもつ者にとっては常識となっています。身柄の拘束や接見の制限は外部の情報から被疑者を遮断することを意味しますが、これは「洗脳」の基本的な条件の一つです。

 ただ、ここで注意すべきは、「人質司法」が虚偽自白と冤罪の温床であるとして批判されるべきだからといって、「人質司法」の下で行われる自白が全て虚偽自白か? といえばそれは事実に反する、という点です。一般の人が漠然と思っている以上に虚偽自白や冤罪は発生している、と私は考えていますが、それでも多くの自白には犯罪事実が対応しているのです。中帰連の方々の告発(自己告発でもあります)を「洗脳」の結果として斥けることが誤っているのは、「意志に反する自白」には「やってもいないことは認めたくない、という意志」に反するものだけでなく、「やった犯罪を隠したい、罰を受けたくないという意志」に反するものもある、という当たり前の事実を無視しているから、なのです。




2017年4月1日土曜日

国会と「WGIP」

 『徹底検証 日本の右傾化』所収の拙稿「“歴史戦の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」への補足、第2弾です。紙幅の都合で省略せざるを得なかった点について書いておきたいと思います。
 前出拙稿では右派論壇の動向を紹介したわけですが、現実の政治にどこまで浸透しているのでしょうか? 一つの目安として国会議事録を検索してみました(期間は江藤の連載が始まった1982年から現在まで)。なお議事録の表記では「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」となっておりますので、ご自身で検索される際にはご注意ください。
 これまでのところ、国会で「WGIP」に言及したのは4人。日時と発言者は次の通りです。

・2013年3月27日(衆院文部科学委員会)、田沼隆志(当時自民、のち落選)
・2014年2月26日(衆院予算委員会)、前田一男(自民)
・2014年3月13日(参院予算委公聴会)、浜田和幸(当時国民新党、のち落選)、西修

その他、江藤の『閉された言語空間』が言及されたケースが1例だけあります。2000年11月30日の衆院憲法調査会で、参考人として招かれていた石原慎太郎・東京都知事(当時)によるものです。
 多いか少ないかと言えば少ない、と言ってよいでしょう(そのため、拙稿では言及しませんでした)。ただ、頻度は低いながらも注目すべき点はあります。3件4人の言及がすべて、江藤の『閉された言語空間』の連載中や単行本刊行当時ではなく、第二次安倍政権時代に集中している、という点です。とすると、江藤とは別に、国会議員に「WGIP」を吹き込んだ人間がいるのではないか、という仮説をたてることができそうです。
 その有力な候補の一人が、14年2月に公述人として出席し「日本国憲法の神聖化、タブー化の一つの原点」がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムにある、と発言した西修氏です。彼は櫻井よしこ氏が理事長を務める国家基本問題研究所(このシンクタンクの役員には他に田久保忠衛、高橋史朗、百地章などが名前を連ねており、日本会議との密接な結び付きがわかります)の理事ですが、櫻井氏にも『GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002年)という著作があります。
 3人の国会議員のうち浜田議員については、西氏経由で「WGIP」について知ったという可能性が極めて高いと言えます。というのも、浜田議員自身が「西先生の、私、ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムに関する論文を読ませていただいて」と発言しているからです。この「論文」というのは『防衛法研究』(防衛法学会)第36号(2012年)に掲載された「『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』素描」のことを指していると思われます。

 前出拙稿では2015年から月刊右派論壇誌上で「WGIP」論が存在感を増し始めた現象に着目したため、それより少し先行するこの論文には言及していません。しかし実を言うと、“やはり「WGIP」論はバカバカしいと片付けずにきちんと批判的に分析しておくべきではないか”と私が考えるようになった大きなきっかけが、この西氏の論文なのです。  なぜか。著者である西氏をとりまく人脈から考えて、彼の主張・認識が現実の政治に影響を及ぼす可能性があることが一つ。もう一つは西氏が陰謀論色、反米色をかなり薄めたかたちで「WGIP」論を展開していることです。もちろん、「WGIP」論である以上、戦後の日本人が WGIP に「呪縛」され続けているという主張はなされており、それについて実証的な根拠は示されていません。この点では西氏も他の「WGIP」論者と同様です。しかしその一方、大本営発表には「虚飾」が多かったから国民は WGIP によって隠蔽されていた真相を知ったということも多く、また大日本帝国の意思決定過程に問題があったことも事実である……といった理由で、氏は WGIP を「必ずしも全面的に否定する必要はないように考える」としているのです。

 高橋史朗氏のような陰謀論的性格が顕著な主張とは異なり、西氏のヴァージョンはかなり“見栄え”がよいですから、一般メディアに登場しても違和感を感じないひとが少なくないかもしれません。このような方向性を右派が打ち出してゆくようならば、きちんとした対策をとる必要があるだろう、と考えたわけです。


2017年3月23日木曜日

「“歴史戦の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」への補足

 『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著、筑摩選書)に所収の拙稿について、紙幅の関係で詳しく書けなかった点につき補足しておきます。保守・右派メディアがこれまで「WGIP」論をどう扱ってきたか、についてです。
 まずは『読売新聞』のデータベース「ヨミダス歴史館」での検索結果(検索対象は1986年以降の記事)から。いずれも執筆時点での結果です。「 WGIP」「ウォー・ギルト・インフォ(ー)メーション・プログラム」ではヒットする件数はゼロです。「閉された言語空間」ないし表記違いの「閉ざされた言語空間」では(異なる日付・見出しで掲載された東京本社版と大阪本社版記事の重複を除いて)計9件がヒットしますが、識者寄稿・江藤自身を含むインタビュー記事・書評を除けば1994年11月13日付東京本社版朝刊に掲載された「GHQの検閲 米兵の暴行はノー」(連載[戦後50年にっぽんの軌跡](26))があるだけです。しかもこの記事は、GHQによる検閲の負の側面を指摘するとともにその「民主化への貢献」も指摘するものとなっています。
 検索語を「江藤淳」AND「検閲」にしてもヒットする記事の件数は11にすぎません。「GHQ」AND「検閲」という条件では100件を超える記事がヒットすることを考えると、『読売新聞』は「WGIP」論をほぼ黙殺してきたといってよいでしょう。同紙は「歴史戦(争)」というタームについても使用していない(日本の近現代史に関連する例としては、読者の投書に現れるものが唯一の例ことも付記しておきます。
 江藤淳の連載を掲載誌していた『諸君』以外の月刊誌はどうか。国会図書館の雑誌記事データベースでの「WGIP」の検索結果は『正論』が3件、『新潮45』が5件(同一著者による連載)、『Voice』が2件で、いずれも2015年以降のものです。拙稿では「WGIP」論が2015年以降広がりを見せつつあるとしましたが、その傾向が一番わかりやすいのがこの結果です。
 最後に『産経新聞』のデータベースで1992年9月7日以降(2017年3月23日まで)の東京本社版朝刊を検索した結果を紹介しておきます。まずは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」での検索結果です。25件がヒットしますが、そのうち2015年以降のものが5件です。高橋史朗氏の寄稿、ないし高橋氏の著作の書評記事が計6件あります。
 また「閉ざされた言語空間」(江藤の書籍タイトルは『閉された言語空間』ですが、産経新聞は「閉ざされた」という表記を用いています)では17件がヒット。内容的に関連の深い「自虐史観」が493件、「東京裁判史観」が300件であることを考えると、25件、17件はいずれもかなり少ないヒット数です。
 興味深いのは「WGIP」での検索結果です。2015年3月31日に『正論』の同年5月号の紹介記事で登場するのが最初で、それ以降の約2年間に計15回登場しています。月刊誌での扱い同様、2015年を境とする変化を示す結果となっています。

2017年3月14日火曜日

『徹底検証 日本の右傾化』に寄稿

 3月13日に筑摩選書として刊行された『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著)に「“歴史の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」(第14章)を寄稿いたしました。
  「WGIP」とは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program」の略です。GHQが占領期に行った検閲やプロパガンダに関する計画を指すこの語は、1980年代に評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文藝春秋、ベースとなったのは月刊誌『諸君』での連載)で論壇に紹介したものです。WGIPは「東京裁判史観」を日本人に植えつけるための洗脳工作であり、その呪縛はいまだに続いている……といったたぐいの主張を「WGIP」論と拙稿では称しています。

「WGIP」論は歴史学の観点から見ても、また心理学や精神医学の知見に照らしても大きな問題点を抱えています。しかし右派論壇では2015年から「WGIP」論のプチブームといってよい事態が起こっています。拙稿は「WGIP」論の概要とその特徴、問題点を概観したうえで、15年以降の「WGIP」論のカジュアル化を紹介しております。

紙幅の都合で書ききれなかったことも少なくありません。15年以降に新たに「WGIP」論業界に参入した言論人たちの、個々の主張の特徴などは紹介できていませんし、江藤以後「WGIP」論ないしそのヴァリエーションを継承してきた何人かの言論人(西尾幹二、櫻井よしこら)についても論じることはできませんでした。中心的な「WGIP」論のイデオローグである高橋史朗の主張の変遷についても、です。いずれも、今後機会があれば書いておきたいと思っています。

「WGIP」論の荒唐無稽さについてはきちんと示すことができたと思います。しかしその荒唐無稽な主張を警戒しなければならないのは、「WGIP」論をこの社会が受容しかねない条件がいくつもそろってしまっているからです。安倍内閣が歴史修正主義的なイデオロギーをもっており、右派の「歴史戦」キャンペーンに公然と協力していること。主流メディアが歴史修正主義に対してきわめて寛容であること。「日本はむしろ被害者である」という歴史認識が日本人の自己愛をくすぐるものであること。さらに自身の記憶や実感に基づいて「戦争はこりごり」という意識をもつ世代が少数派となり、遠からずこの社会から退場すること、などです。「WGIP」論は戦後の日本がアジア太平洋戦争の体験をどう記憶してきたか……という戦後史を「修正」することで、「侵略戦争」も「南京大虐殺」も「慰安婦問題」も一気に否認することを可能にするものです。個々の論点について細かな議論を積み重ねるまでもなく「GHQの洗脳!」のひとことですべてをひっくり返せるわけですから、“歴史戦の決戦兵器”というわけです。これからの日本社会は実体験に依拠せずに「WGIP」論に抗しなければならないわけです。

2017年1月29日日曜日

「感情論」というクリーシェについて

 注文していた『通州事件―日中戦争泥沼化への道』(広中一成、星海社新書)が届いたのでさっそく読み始めた。この問題について、とりわけこのタイミングで、歴史学研究者による研究の成果が一般向けに明らかにされたことの意義は非常に大きい。しかしながら「またか……」と思わされる点があったので、とりいそぎ指摘しておきたい。
 同書の帯には「不毛な感情論を排し、惨劇の全貌に迫る」という惹句が印刷されている。著者の広中氏自身も、通州事件をことさら取り上げようとする側と、ことさら取り上げることを批判する側の双方に言及したうえで、「この種の感情むき出しの『水掛け論』」とし(10頁)、「冷静で客観的な実証研究」が必要だ、としている(10-11頁)。私が問題にしたいのは、いわゆる歴史認識問題を評する際にしばしば用いられる、この冷静/感情的という二分法である。
 まず第一に、「感情論」だという批判それ自体が「実証」的でない、という問題がある。これは以前にも指摘したことがある問題なのだが、著者は批判対象とした論者たちが“感情的”であることをどうやって知ったのだろうか? 「水掛け論」としてとりあげられているのは順に岡野篤夫、本多勝一、小林よしのり、荒川章二、馳浩の各氏だが、彼らが執筆している場面を目撃したわけでもあるまい。では論そのものから「感情論」だということが読みとれるのか? しかし引用、紹介されている限りでは先の五人の議論が「感情むき出し」だとはまったく思えない。理性的(冷静)/感情的という二分法を前提として、好ましくないものを「感情」の側に分類したにすぎないように思われる。
 しかしながら、この冷静=合理的/感情的=非合理的という二分法自体がフォークサイコロジーに過ぎない。近年の情動研究ではこのような単純な二分法はのりこえられている(この点を一般向けに解説したものとしては、戸田山和久『恐怖の哲学―ホラーで人間を読む』、NHK出版新書の第3章などがある)。たしかに、非常に強い情動が非合理的な行動につながることがあるとしても、そのことは「情動を排すれば常に合理的に振る舞える」ことも「感情は常に合理的振る舞いの障害となる」ことも意味しない。「水掛け論」の原因は別に感情とは限らないのである。
 通州事件をめぐる従来の議論に問題があるというのであれば、重要なのはどこにどのような欠陥があるのかを具体的に明らかにすることだろう。フォークサイコロジーに依拠して「感情論」というレッテルを貼ることに学術的な意味があるとは思えない。
 私などはむしろ、もし通州事件をことさら焦点化しようとする人々が「感情的」なのであればそのほうがずっとよいのに、と思う。もう10年以上歴史修正主義者の主張と付き合ってきたけれども、彼らの主張の背後に強い感情を感じたことは殆どない。むしろ感じるのは冷ややかさだ。冷静/感情的の二分法を前提とし「冷静」の側に位置しようとすることによって見失われるものがあるのではないか、ということを考えてみるべきではないだろうか。