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「“歴史戦の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」への補足

『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著、筑摩選書)に所収の拙稿について、紙幅の関係で詳しく書けなかった点につき補足しておきます。保守・右派メディアがこれまで「WGIP」論をどう扱ってきたか、についてです。
 まずは『読売新聞』のデータベース「ヨミダス歴史館」での検索結果(検索対象は1986年以降の記事)から。いずれも執筆時点での結果です。「」「ウォー・ギルト・インフォ(ー)メーション・プログラム」ではヒットする件数はゼロです。「閉された言語空間」ないし表記違いの「閉ざされた言語空間」では(異なる日付・見出しで掲載された東京本社版と大阪本社版記事の重複を除いて)計9件がヒットしますが、識者寄稿・江藤自身を含むインタビュー記事・書評を除けば1994年11月13日付東京本社版朝刊に掲載された「GHQの検閲 米兵の暴行はノー」(連載[戦後50年にっぽんの軌跡](26))があるだけです。しかもこの記事は、GHQによる検閲の負の側面を指摘するとともにその「民主化への貢献」も指摘するものとなっています。
 検索語を「江藤淳」AND「検閲」にしてもヒットする記事の件数は11にすぎません。「GHQ」AND「検閲」という条件では100件を超える記事がヒットすることを考えると、『読売新聞』は「WGIP」論をほぼ黙殺してきたといってよいでしょう。同紙は「歴史戦(争)」というタームについても使用していない(日本の近現代史に関連する例としては、読者の投書に現れるものが唯一の例)ことも付記しておきます。
 江藤淳の連載を掲載誌していた『諸君!』以外の月刊誌はどうか。国会図書館の雑誌記事データベースでの「」の検索結果は『正論』が3件、『新潮45』が5件(同一著者による連載)、『』が3件で、いずれも2015年以降のものです。拙稿では「WGIP」論が2015年以降広がりを見せつつあるとしましたが、その傾向が一番わかりやすいのがこの結果です。
 最後に『産経新聞』のデータベースで1992年9月7日以降(2017年3月23日まで)の東京本社版朝刊を検索した結果を紹介しておきます。まずは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」での検索結果です。25件がヒットしますが、そのうち2015年以降のものが5件です。高橋史朗氏の寄稿、ないし高橋氏の著作の書評記事が計6件あります。

 また「閉ざされた言語空間」(…
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『徹底検証 日本の右傾化』に寄稿

 3月13日に筑摩選書として刊行された『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著)に「“歴史戦の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」(第14章)を寄稿いたしました。
  「WGIP」とは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program」の略です。GHQが占領期に行った検閲やプロパガンダに関する計画を指すこの語は、1980年代に評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文藝春秋、ベースとなったのは月刊誌『諸君!』での連載)で論壇に紹介したものです。WGIPは「東京裁判史観」を日本人に植えつけるための洗脳工作であり、その呪縛はいまだに続いている……といったたぐいの主張を「WGIP」論と拙稿では称しています。

「WGIP」論は歴史学の観点から見ても、また心理学や精神医学の知見に照らしても大きな問題点を抱えています。しかし右派論壇では2015年から「WGIP」論のプチブームといってよい事態が起こっています。拙稿は「WGIP」論の概要とその特徴、問題点を概観したうえで、15年以降の「WGIP」論のカジュアル化を紹介しております。

紙幅の都合で書ききれなかったことも少なくありません。15年以降に新たに「WGIP」論業界に参入した言論人たちの、個々の主張の特徴などは紹介できていませんし、江藤以後「WGIP」論ないしそのヴァリエーションを継承してきた何人かの言論人(西尾幹二、櫻井よしこら)についても論じることはできませんでした。中心的な「WGIP」論のイデオローグである高橋史朗の主張の変遷についても、です。いずれも、今後機会があれば書いておきたいと思っています。

「WGIP」論の荒唐無稽さについてはきちんと示すことができたと思います。しかしその荒唐無稽な主張を警戒しなければならないのは、「WGIP」論をこの社会が受容しかねない条件がいくつもそろってしまっているからです。安倍内閣が歴史修正主義的なイデオロギーをもっており、右派の「歴史戦」キャンペーンに公然と協力していること。主流メディアが歴史修正主義に対してきわめて寛容であること。「日本はむしろ被害者である」という歴史認識が日本人の自己愛をくすぐるものであること。さらに自身の記憶や実感に基づいて「戦争はこりごり」という意識をもつ世代が少数派となり、遠からずこの社会から退場すること、など…

「感情論」というクリーシェについて

 注文していた『通州事件―日中戦争泥沼化への道』(広中一成、星海社新書)が届いたのでさっそく読み始めた。この問題について、とりわけこのタイミングで、歴史学研究者による研究の成果が一般向けに明らかにされたことの意義は非常に大きい。しかしながら「またか……」と思わされる点があったので、とりいそぎ指摘しておきたい。
 同書の帯には「不毛な感情論を排し、惨劇の全貌に迫る」という惹句が印刷されている。著者の広中氏自身も、通州事件をことさら取り上げようとする側と、ことさら取り上げることを批判する側の双方に言及したうえで、「この種の感情むき出しの『水掛け論』」とし(10頁)、「冷静で客観的な実証研究」が必要だ、としている(10-11頁)。私が問題にしたいのは、いわゆる歴史認識問題を評する際にしばしば用いられる、この冷静/感情的という二分法である。
 まず第一に、「感情論」だという批判それ自体が「実証」的でない、という問題がある。これは以前にも指摘したことがある問題なのだが、著者は批判対象とした論者たちが“感情的”であることをどうやって知ったのだろうか? 「水掛け論」としてとりあげられているのは順に岡野篤夫、本多勝一、小林よしのり、荒川章二、馳浩の各氏だが、彼らが執筆している場面を目撃したわけでもあるまい。では論そのものから「感情論」だということが読みとれるのか? しかし引用、紹介されている限りでは先の五人の議論が「感情むき出し」だとはまったく思えない。理性的(冷静)/感情的という二分法を前提として、好ましくないものを「感情」の側に分類したにすぎないように思われる。
 しかしながら、この冷静=合理的/感情的=非合理的という二分法自体がフォークサイコロジーに過ぎない。近年の情動研究ではこのような単純な二分法はのりこえられている(この点を一般向けに解説したものとしては、戸田山和久『恐怖の哲学―ホラーで人間を読む』、NHK出版新書の第3章などがある)。たしかに、非常に強い情動が非合理的な行動につながることがあるとしても、そのことは「情動を排すれば常に合理的に振る舞える」ことも「感情は常に合理的振る舞いの障害となる」ことも意味しない。「水掛け論」の原因は別に感情とは限らないのである。
 通州事件をめぐる従来の議論に問題があるというのであれば、重要なのはどこにどのような欠陥があるのかを具体…

日中戦争・南京事件80周年を控えて

 79年前の今日、日本は「南京陥落」の知らせで沸き立っていました。しかし今日の新聞に「南京」という文字は何度出てくるのでしょうか。
 今年75周年を迎えた真珠湾攻撃(対英米開戦)ですらメディアでの扱いはかつてとは比べものにならないほどささやかでしたから、南京事件をとりあげるごく僅かなニュースも“中国が追悼式典開催”という内容のものに終始し、この大虐殺や日中全面戦争を主体的に問題にしようとするものが見当たらなかったのは、驚くには値しないのでしょう。
 80年目の節目となる来年についても、現在のメディアの状況を考えれば大きな期待を抱くことはできないかもしれません。しかし、このまま歴史が無関心のなかに沈むままにしてしまうならば、歴史修正主義者たちが勝利を収めたことになってしまいます。

 南京事件・日中戦争70周年にあたる2007年には一連の国際シンポジウムが開催され、その成果は『南京事件70周年国際シンポジウムの記録』として刊行されています。12月の東京シンポジウムでは私も発言者の一人として登壇させていただきました。このような規模には到底およびませんが、来年に向け自分たちでなにができるかについて友人たちと相談しているところです。


新刊のお知らせ

 2016年6月23日に岩波書店より、山口智美さん、テッサ・モーリス−スズキさん、小山エミさんとの共著『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う――が刊行される予定です。一冊まるまる、右派による「歴史戦」の企てを批判的にとりあげた書籍はおそらくこれがはじめてであろうと思います。


 私が担当した第1章は、月刊右派論壇誌がこの20年間でどのように「歴史戦(歴史戦争)」言説をつくりあげてきたかを概観する内容となっております。テーマとしては昨年早川タダノリさんと共に刊行した『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)の第3、9、12章などと共通しており、実際に『憎悪の広告』執筆に用いた資料が今回も大いに役に立ちました。過去20年間の右派論壇誌の新聞広告を約140点収録した『憎悪の広告』は『海を渡る「慰安婦」問題』が描き出す右派の「歴史戦」についての具体的なイメージをつかむうえでの一助となると自負しております。新刊ともども、この機会にお手にとっていただければ幸いです。



kokubo 氏の“反論”について(2)

 この記事が書かれた経緯については「kokubo 氏の“反論”について(1)」を参照されたい。ここでは朴裕河氏がFacebookのポストで引用した kokubo 氏の主張をとりあげる。kokubo 氏のポストを直接閲覧できないのは残念であるが、朴裕河氏が自身の責任において『帝国の慰安婦』批判への反論として紹介したものであるから、引用された限りの主張について検討することにする。なお、反論の対象となっているのは当ブログの記事「歴史修正主義は何によってそう認定されるか」である。

 問題の記事で私が指摘したのは、「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」(『帝国の慰安婦』104ページ)と主張する際に、朴裕河氏が元日本軍兵の証言を恣意的につまみ食いしている、ということであった。ここでまず確認しておかねばならないのは、「民間人が勝手に営業した」という主張の源泉となり得る記憶は「民間人が勝手に営業している慰安所を見た」というものではなく、「民間人が勝手に営業している慰安所しか見たことがない」というものでなければならない、ということである。純民営の「慰安所」も軍が設置・運営する「慰安所」も共に知っているという人間が「民間人が勝手に営業した」と主張したとすれば、彼は「記憶が残っているから」そう主張したのではなく、自らの記憶に反してそう主張したことになるからである。問題の証言者はまさにどちらの慰安所も記憶しているのであるから、本来「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」という主張の根拠としては援用できないはずである。にもかかわらず、読者の目から「北部中国に軍の管理する慰安婦と慰安所ができたのは三月か四月ごろではなかったかと思います」という証言を隠してあたかも「民間人が勝手に営業している慰安所しか見たことがない」という証言者が『“声なき女”八万人の告発 従軍慰安婦』に登場するかのようにみせていることが問題なのである。 kokubo 氏は「つまりこの元兵士は「民間人が勝手に営業した慰安所」と「軍管理の慰安所」二種類の慰安所の記憶があるということ」としているが、「二種類の慰安所の記憶」では朴裕河氏の主張の根拠足り得ないのである。

 このような kokubo 氏の…

kokubo 氏の“反論”について(1)

 去る4月22日、朴裕河氏はツイッター及びFacebookにおいて、kokubo 氏が私に対して行った”反論”(後にみるように反論の体をなしていないので引用符でくくってある)を紹介した。朴裕河氏からの直接の反論ではないが、彼女は kokubo 氏の書いたものについて「その通りだと思った」とのことである。  朴裕河氏が紹介した kokubo 氏の”反論”は3つある。2つは氏が自身のブログで公表したものであり、残る1つはFacebookのポスト(「友達」限定公開なのか、私は閲覧できない)を朴裕河氏が自身のポストで転載したものである。ここではまず、2つのブログ記事について見てみることにしよう。

・「河を渡っている慰安婦の写真は「朝鮮人慰安婦」である〜能川元一氏に反論する」(2015年12月29日
・「この能川元一氏の『帝国の慰安婦』批判は最初で最大の間違いである。〜能川元一氏に反論する」(2016年1月26日)

いずれも反論の体をなしていない記事なのでこれまで無視してきたのだが、朴裕河氏が肯定的に紹介したとなればまた話は別である。朴裕河氏はこの論点について、もはや悪意のないミスであったことを主張できなくなったからである。
 なお“批判”の対象となっているのは私が『季刊 戦争責任研究』の第85号(以下『戦争責任研究』)に寄稿したもの(その後、三一書房刊の『「慰安婦」問題の現在』に改題のうえ再録された)であるが、関係する論点については当ブログの記事「「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)」でも同趣旨の指摘をしておいた。ここで問題となる2枚の写真のうち、千田夏光氏が「兵隊とともに行軍する朝鮮人らしい女性。頭の上にトランクをのせている姿は朝鮮女性がよくやるポーズである」と記述している写真を以下「渡江写真」、「占領直後とおぼしい風景の中に和服姿で乗り込む女性。中国人から蔑みの目で見られている日本髪の女性」と記述している写真を「和服写真」と呼ぶことにしたい。渡江写真は毎日新聞社刊の『每日グラフ』別冊「日本の戦歴」(1965年)の21ページ、写真集『日本の戦歴』(1967年)の117ページに、和服写真は同じくそれぞれ128-9ページ、114-5ページに掲載されたものである。


渡江写真

和服写真
 さてまず「河を渡っている慰安婦の写真は「朝鮮人慰安婦」で…