2017年8月7日月曜日

笠原十九司『日中戦争全史』

 著者の笠原十九司先生から頂戴した『日中戦争全史 上・下』(高文研)読了しました。

 上巻のサブタイトルが「対華21カ条要求(1915年)から南京占領(1937年)まで」、下巻が「日中全面戦争からアジア太平洋戦争敗戦まで」となっていることからわかるように、日中戦争の「前史」の起点を対華21カ条要求においたうえで、45年8月までの日中戦争を描き出す試み。

 著者が「はじめに」で「類書にない『日中戦争全史』であると自負」する背景には、「これまでの日本における日中戦争の歴史書では、アジア太平洋戦争開始以後の日中戦争の作戦展開がきちんと記述されていないことが多かった」(下巻229ページ)という事情がある。

 手元にある一般読者向けの戦争史でこの点を確認しておこう。『日中十五年戦争史』(大杉一雄、中公新書、1996年)はそのタイトルに反して南京攻略戦〜早期和平路線の破綻、すなわち1938年前半までしか扱われていない。『新版 15年戦争小史』(江口圭一、青木書店、1991/2001年)の第III章「日中戦争」も、38年の「国民政府を対手とせず」声明以降については約4ページで徐州作戦、武漢作戦、広東作戦と汪兆銘工作に触れているだけで、第IV章「アジア太平洋戦争」で中国戦線の記述にあてられているのが7ページほどである。
 1980年代前半に刊行された小学館の「昭和の歴史」シリーズは第5巻が『日中全面戦争』(藤原彰)、第7巻が『太平洋戦争』(木坂順一郎)という分担になっており、第5巻では武漢・広東作戦以降の海南島占領、宜昌作戦、重慶爆撃、百団大戦と三光作戦等への言及はあるが、政治史・社会史的側面の記述に多くのページが割かれていることもあり、簡潔な記述にとどまっている。
 この日中戦争/太平洋戦争という分担は多くのシリーズものに共通している。例えば岩波新書の「シリーズ日本近現代史」。『満州事変から日中戦争へ』(加藤陽子、2007年)の記述は基本的には38年の「対手とせず」声明までで、「おわりに」で三国同盟等に触れているだけである。それに次ぐ『アジア・太平洋戦争』(吉田裕、2007年)には浙贛作戦や一号作戦への言及はあるものの、中国戦線の記述に割かれたページ数はざっと数えたところで7ページ弱というところ。同時期の「戦争の日本史』シリーズ(吉川弘文館)も『満州事変から日中全面戦争へ』(伊香俊哉、2007年)と『アジア・太平洋戦争』(吉田裕・森茂樹、2007年)に分けられており、前者では細菌戦、毒ガス戦、「慰安所」制度、三光作戦などのトピックが比較的詳しくとりあげられているものの、日本軍の作戦行動についての体系的な記述はやはり武漢・広東作戦までとなっている。後者では全8章のうち中国戦線の記述にあてられているのは第V章の後半……といった具合だ。

 軍事的な観点からいえば、対米英戦争に突入した時点でもはや敗戦は決まったも同然であったし、戦線がアジア太平洋全域に拡がるため中国戦線に割くことのできるページ数も自ずと限られてしまう、という事情はあろう。また、731部隊や重慶爆撃、華北の治安戦など日中戦争の特筆すべき側面については個別の文献も少なからずあり、あれこれと文献を当たれば1941年以降の支那派遣軍の主要な作戦について知ることは可能である。しかしひと続きの歴史記述として1945年8月までの日中戦争の全体像を描いたものはこれまでなかったと言ってよく、著者の自負は十分に根拠があると思われる。分量的にも、本書では下巻の3分の1ほど(=全体の6分の1ほど)が対米英戦開戦以降の中国戦線の記述にあてられている。日本社会のアジア太平洋戦争に関する記憶の一つの問題点として、それが「アメリカに負けた戦争」としてもっぱら記憶されている、というものがある。日中全面戦争から80年という好機に刊行された本書が、こうした問題点を克服する足がかりとなることを期待したい。

 また著者がかねてから主張してきた、海軍の責任の重大さという観点は本書でも踏襲されており、それもまた本書の特徴の一つとなっている。アジア太平洋戦争に関する記憶のもう一つの問題は、いわゆる「陸軍悪玉・海軍善玉」史観に強く影響を受けていることである。近年、NHKが「海軍反省会」を題材とした番組を制作・放送するなど海軍の責任を捉え直す機運はそれなりにできつつあると思われるが、本書はこの点でも従来のアジア太平洋戦争認識を問い直すきっかけとなるものと思われる。