2018年8月7日火曜日

「捏造」? 「誤報」? 「歴史戦」連載第2部の大問題


私も寄稿した『検証 産経新聞報道』(金曜日)および、同書の原型となった『週刊金曜日』2017年2月17日号掲載の特集「『歴史戦』に負けた『産経新聞』(この特集にも私は高嶋伸欣さんとの対談で登場)における不祥事に関して、同誌2018年8月3日号に掲載された検証記事が同誌公式サイトにも掲載されました。
通常、自著の刊行後は宣伝を兼ねて、SNS等で読者の方向けに補足情報、関連情報を発信しているのですが、この問題の把握後は『検証 産経新聞報道』への言及を控えておりました。とはいえ、私の寄稿部分(「『産経新聞』の“戦歴”「歴史戦」の過去・現在・未来」)には広く知っていただきたい事柄も含まれてはおりますので、一連の経過と再発防止のための取り組みが公表されたことを期に、執筆過程でもっとも驚いたことを紹介しておきたいと思います。

まずは【歴史戦】連載の第2部「慰安婦問題の原点(3)後半」(2014年5月23日)と「慰安婦問題の原点(4)前半」(2014年5月24日)をご覧ください。前者には次のような一節があります。
 3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
他方、後者では同じ訴訟について、次のような記述があります。
 挺対協の働きかけで元慰安婦らが東京地裁に提訴し、4年1月に朝日新聞が「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報道すると、直後に北朝鮮国営の朝鮮中央通信はタイミングを計ったようにこう伝えた。
後者には原告の名前が書かれていませんが、「4年1月」(1992年1月)以前の訴訟ですから、これは明らかに前日23日の記事が言及している金学順さんらの訴訟を指しています。同じ訴訟について、23日には「「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし」としていたのに翌24日には「挺対協の働きかけで」としているわけです。
日本軍「慰安婦」問題について基礎的な知識をお持ちの方ならすぐわかる通り、正しい記述は23日のものです。金学順さんは「挺対協の働きかけ」で名乗り出たものの、訴訟については遺族会と行動を共にしたからです。
同じ取材班が書いた2日連続の記事において、同じ訴訟についてまったく異なる(そして一方は誤った)記述がなされている、というのはいったいどういうことでしょうか。『産経新聞』は取材班のなかでろくに取材テーマについての情報共有もなされず、校正も校閲もまったく機能していないということなのでしょうか?
しかし2つの記事全体を読むとこれは意図的な書き分けなのではないか? という疑惑が生じます。というのも、23日の記事は元『朝日新聞』記者の植村隆さんを攻撃対象としているのに対して、24日の記事は挺対協を攻撃対象としているからです。右派は植村さんの義母が遺族会の幹部であったことをさんざんとりあげてきました。23日の記事でも金学順さんらの訴訟の「母体」が遺族会であることに言及されているのはそのためです。ところが挺対協を攻撃対象とする24日の記事では、金学順さんに提訴を働きかけたのが挺対協であるという、事実に反する記述をしているわけです。右派の「慰安婦」問題言説を追いかけてきた私としては、これが単なるミスである……なんてことを信じるほどお人好しにはなれません。
むろん、「捏造」であるかどうかは取材班の主観的認識に依存することですから、その主観的認識にかかわる別の証拠がない限り「捏造」だと断定することはできません。しかし『産経新聞』が『朝日新聞』に対しては実に軽々しく「捏造」という非難をぶつけてきたことを想起するなら、これを「捏造」と呼ばない理由も思いつきません。

なおウェブ掲載版だけでなく紙面版でも当該箇所は上記の通りになっており、さらに単行本『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞出版)でも同様である(122、127ページ)ことも申し添えておきます。単行本でも24日分の記述が訂正されていないことが、「捏造」の傍証になることは言うまでもないでしょう。