2018年1月15日月曜日

薄っぺらい「宣撫工作」理解と歴史修正主義

 この数日、ツイッターで相当の回数「拡散」されているブログ記事がある。「拡散希望です)大陸に出征した軍医さんへの命令書(未公開)2016.1.26」と題する約2年前のものだ。ケント・ギルバートや高須克弥のアカウントまで「拡散」に加わっている。
この「命令書」と「写真」の史料批判については専門家でもない私が口をだすことではないだろうが、歴史修正主義者の振る舞いという観点からみるといくつか興味深いところがある。

まず第一に、この記事に「南京大虐殺が存在しなかった写真つき証拠が発見される」というタイトルを付けて転載しているまとめサイトがいくつかあること。しかしこの写真、ブログ主は「南京の様子がアルバムに残っていました」としているけれども、誰が見ても南京とは似ても似つかぬ地方都市の風景である(注1)。「南京事件の証拠とされる写真が、南京で撮影されたものではなかった!」というのは南京否定論者が好んで主張してきたことであるが、なんのことはない「南京事件が捏造の証拠、とされる写真が南京で撮影されたものではなかった!」のである。ちなみに、コメント欄をみると、すでに同様の指摘がいくつもなされている。しかしブログ主もこの数日の拡散者たちも、そんなことはまったく意に介する様子はない。

もちろん、仮にこれらが当時の南京の風景を写したものであったとしても、「南京大虐殺が存在しなかった証拠」になどなりはしない。「虐殺など見なかった」「市内は平穏だった」という元将兵の“証言”をいくつか集めて「ほらみろ大虐殺はなかった」とする『産経新聞』などと同じ手口である。時空間的に大きな広がりを持つ出来事の不存在を証明するためには一体どれほどの「証拠」を積み上げる必要があるか、についての真面目な検討など行ったことがない人間にのみ為しうる業と言えよう。

最近の私の関心からすると更に興味深いのが、「施療してやったり宣撫したりと、虐殺からはほど遠いことがわかります」というブログ主の認識だ。私はかねてから「南京大虐殺は国民党のプロパガンダ」だという否定論の主張や、「WGIP」論について、「プロパガンダ」の理解が極めて浅薄であることを指摘してきた。前者は「プロパガンダである」ことが立証できれば(実際にはそこもで立証できてないのだが)捏造であることが明らかになる、という薄っぺらい認識に基づいている。ケントWGIP本は論外として、江藤淳や高橋史朗といった本家の著作においても、実証的な装いが凝らしてあるのは検閲や宣伝の「計画」の部分までで、それがどのように実行され・どの程度影響を与え・その影響がどの程度持続したのかという部分については極めてドグマ的で、実証主義のフリすらしていない。まるで「プロパガンダが計画されたのであれば、それは計画通り実行され計画通りの効果を発揮するものである」と言わんばかりだ。

同様にペラペラな認識をブログ主も見せている。この人物(および好意的に「拡散」している者たち)はまさか、宣撫工作というのは占領軍が占領地の住民に好意を持っているから行うものだ、とでも思っているのだろうか? 自分でタイプしながらも失笑してしまうほどありえない理解なのだが、そうとでも考えなければ「施療してやったり宣撫したりと、虐殺からはほど遠いことがわかります」などという主張は成立しないだろう。もちろん実際には、占領地の住民が占領軍を快く思わないのが通例であるからこそ、宣撫工作というのは必要となるのである。GHQだって日本各地で宣撫工作をやったわけだが、「だから東京大空襲はなかった」と言われて納得するのだろうか、彼らは?

プロパガンダや宣撫工作についてのこうした浅薄な理解の持ち主たちは、実生活でも「甘い言葉を囁くやつは後ろ暗いところがあるか、あるいはろくでもないことを企んでいる可能性がある」ことに思い至らないくらいのお人好し揃いなのだろうか? まさかそんなことはあるまい。「結論先にありき」な歴史修正主義だからこそ、極めて非常識な人間観を前提せざるを得なくなる、ということなのだ。



(注1)ブログ主が「赴任5日目の南京の市場らしいです。活気があります。」としている写真のキャプションは正しくは「五日目毎(ゴト)ノ部落ノ市」であろう。南京市街に立つ市を「部落の市」と書くはずがない。