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『徹底検証 日本の右傾化』に寄稿

 3月13日に筑摩選書として刊行された『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著)に「“歴史の決戦兵器”、「WGIP」論の現在」(第14章)を寄稿いたしました。
  「WGIP」とは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program」の略です。GHQが占領期に行った検閲やプロパガンダに関する計画を指すこの語は、1980年代に評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(文藝春秋、ベースとなったのは月刊誌『諸君』での連載)で論壇に紹介したものです。WGIPは「東京裁判史観」を日本人に植えつけるための洗脳工作であり、その呪縛はいまだに続いている……といったたぐいの主張を「WGIP」論と拙稿では称しています。

「WGIP」論は歴史学の観点から見ても、また心理学や精神医学の知見に照らしても大きな問題点を抱えています。しかし右派論壇では2015年から「WGIP」論のプチブームといってよい事態が起こっています。拙稿は「WGIP」論の概要とその特徴、問題点を概観したうえで、15年以降の「WGIP」論のカジュアル化を紹介しております。

紙幅の都合で書ききれなかったことも少なくありません。15年以降に新たに「WGIP」論業界に参入した言論人たちの、個々の主張の特徴などは紹介できていませんし、江藤以後「WGIP」論ないしそのヴァリエーションを継承してきた何人かの言論人(西尾幹二、櫻井よしこら)についても論じることはできませんでした。中心的な「WGIP」論のイデオローグである高橋史朗の主張の変遷についても、です。いずれも、今後機会があれば書いておきたいと思っています。

「WGIP」論の荒唐無稽さについてはきちんと示すことができたと思います。しかしその荒唐無稽な主張を警戒しなければならないのは、「WGIP」論をこの社会が受容しかねない条件がいくつもそろってしまっているからです。安倍内閣が歴史修正主義的なイデオロギーをもっており、右派の「歴史戦」キャンペーンに公然と協力していること。主流メディアが歴史修正主義に対してきわめて寛容であること。「日本はむしろ被害者である」という歴史認識が日本人の自己愛をくすぐるものであること。さらに自身の記憶や実感に基づいて「戦争はこりごり」という意識をもつ世代が少数派となり、遠からずこの社会から退場すること、などです。「WGIP」論は戦後の日本がアジア太平洋戦争の体験をどう記憶してきたか……という戦後史を「修正」することで、「侵略戦争」も「南京大虐殺」も「慰安婦問題」も一気に否認することを可能にするものです。個々の論点について細かな議論を積み重ねるまでもなく「GHQの洗脳!」のひとことですべてをひっくり返せるわけですから、“歴史戦の決戦兵器”というわけです。これからの日本社会は実体験に依拠せずに「WGIP」論に抗しなければならないわけです。

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歴史修正主義は何によってそう認定されるか

 誤解されがちなのですが、歴史修正主義的な主張は「結論が通説と違うから」とか「日本軍を美化しているから」といった理由で「歴史修正主義的だ」と判断されるわけではありません。神ならぬ私たちは歴史記述それ自体だけをとりあげて「これは史実に合致している」とか「史実に反している」と判断することはできないからです。肝心なのはむしろある歴史記述(と主張されているもの)がどのような方法で導き出されているか、です。史料の取捨選択やその解釈、史料からの推論などがまったく妥当性を欠いている場合に「偽史」とか「歴史修正主義」という判断が下されるわけです。「おかしな結論」が出てくるのは「おかしな方法」が用いられているからなのです。一定の合理性を備えた方法によって導き出された歴史記述同士の対立は学術的な議論の対象になりますが、歴史修正主義は「疑似科学」の一種であって「歴史学の内部における、通説への挑戦」ではありません。
 朴裕河氏の『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版、2014年)を徹底的に批判した鄭栄桓氏の『忘却のための「和解」』がまず焦点を当てているのも、『帝国の慰安婦』で用いられている「方法」です(『忘却のための「和解」』、195ページ)。逆にいえば、歴史修正主義批判の妥当性もまた、「方法」への批判の方法によって判断されることになります。

  私がみるところ、『忘却のための「和解」』は『帝国の慰安婦』に歴史修正主義的という評価を下すに足るだけの十分な理由があることを明らかにしています。その徹底した批判ぶりについてはぜひ『忘却のための「和解」』を読んで確かめていただきたいと思いますが、ここでは私自身が『「慰安婦」問題の現在』(三一書房、2016年)所収の拙稿(『季刊 戦争責任研究』第85号に掲載されたものを改題のうえ再録)でとりあげた事例を使って、『帝国の慰安婦』の「方法」がはらむ問題点を例証してみましょう。
  朴裕河氏は『帝国の慰安婦』104ページで「慰安婦問題を否定する人たちが、民間人が勝手に営業したと主張するのは、このような記憶が残っているからだろう」と主張しています。ここで「このような記憶」とされているのは、千田夏光氏の『“声なき女”八万人の告発 従軍慰安婦』(講談社文庫版のタイトルは『従軍慰安婦』)において元日本兵が「びっくりしたのは済南に入城した二日後に、早くも酌婦が入って来たこと…

新刊のお知らせ

 2016年6月23日に岩波書店より、山口智美さん、テッサ・モーリス−スズキさん、小山エミさんとの共著『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う――が刊行される予定です。一冊まるまる、右派による「歴史戦」の企てを批判的にとりあげた書籍はおそらくこれがはじめてであろうと思います。


 私が担当した第1章は、月刊右派論壇誌がこの20年間でどのように「歴史戦(歴史戦争)」言説をつくりあげてきたかを概観する内容となっております。テーマとしては昨年早川タダノリさんと共に刊行した『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(合同出版)の第3、9、12章などと共通しており、実際に『憎悪の広告』執筆に用いた資料が今回も大いに役に立ちました。過去20年間の右派論壇誌の新聞広告を約140点収録した『憎悪の広告』は『海を渡る「慰安婦」問題』が描き出す右派の「歴史戦」についての具体的なイメージをつかむうえでの一助となると自負しております。新刊ともども、この機会にお手にとっていただければ幸いです。



歴史修正主義の手法に見られるパターン

 心理学者のセス・C・カリッチマンは『エイズを弄ぶ人々ー疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(化学同人、2011年。原題 Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tradegy, 2009)においてエイズ否認主義の典型的な手法をまとめています。実はこの手法は疑似科学一般にも、さらには歴史修正主義においても見られるものです。カリッチマンは科学ジャーナリストのマイケル・シャーマーの分析に着想を得ているのですが、シャーマーはホロコースト否定論が疑似科学と同じパターンの論法を使用していることを指摘しています(『なぜ人はニセ科学を信じるのか II』、早川文庫)。以下にカリッチマンの指摘の主なものをメモしてコメントを付します。太字になっているのは原文の小見出し。
第4章  否認主義者のジャーナリズムと陰謀説
エイズをめぐる大規模な議論?(164ページ〜)
「否認主義のジャーナリストは、HIVがエイズの原因かどうかについて、公の場で公正な議論を行うことをしつこく要求する」「否認主義者から見れば、エイズ学者は真実の発覚を恐れて、HIVがエイズの原因かどうかについての議論を避けている、ということになるようだ」「一方、エイズ学者から見れば、HIVがエイズの原因かどうかという問題はすでに解決済みであり、改めて議論すれば、それを未解決と見なすことになるのだ」
コメント:河村たかし・名古屋市長が南京大虐殺否定発言の問題化後に言い訳として用いたのもこの論法。ネットにも「検証するくらいいいじゃないか」みたいな発言はゴロゴロしているが、しかしそんなことを言う人々が過去の「議論」の蓄積をきちんと参照したためしはない。
科学を宗教として描く(173ページ〜)
「否認主義には宗教的含みが無数に見られ、特に主流のエイズ学について説明する際には、しばしば宗教がかった言い方をする。エイズ学は『正統派(オーソドクシー)で、「HIV=エイズの教義(ドグマ)」を奨励し、HIVがエイズの原因かどうかに疑問を持つ科学者を「破門する」、といった具合だ」「科学を宗教のように扱うのは、科学的証拠を単なる信仰のひとつとして片づけたいからだ」(原文のルビをカッコ書きに改めた)
コメント:「正統派」といったタームは日本ではさほどポピュラーではないが、「…