2017年4月2日日曜日

「洗脳」について

 『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編著、筑摩選書)所収の拙稿への補足シリーズ、第3弾です。
 拙稿では、中国帰還者連絡会(中帰連)が行ってきた加害証言活動について、右派が“彼らは洗脳されてありもしない戦争犯罪を証言しているのだ”と攻撃してきたことに言及しました。こうした攻撃は心理学的根拠を欠く、というのが拙稿の主張です。ただ、そういう結論を導く過程で、私は次のように書きました(271ページ)。
 (……)中国共産党に抑留されていた「戦犯」容疑者たちの自白が、当初において少なくとも部分的には、こんにち心理学において「洗脳」と呼ばれている手法によって導かれたであろうことは、ある意味で当然である。そもそも「洗脳」に対する学術的な関心は、朝鮮戦争における捕虜などに対して中国共産党が行った「思想改造」に由来するからだ。(……)
 ここで私が言わんとしているのは、次のようなことです。まず戦後の日本で「洗脳」と呼ばれてきたもの=中国共産党が捕虜や抑留者に対して用いた「思想改造」の手法なのであるから、撫順や太原の戦犯管理所にいた捕虜たちが「洗脳」工作を受けたのは言葉の定義上自明である。また、中帰連メンバーも自分たちが当初は「認罪」に抵抗していたことを証言していることから分かる通り、自白は「戦犯」容疑者たちの当初の意志には反するかたちで行われた、ということ。しかしながら、そのことは自白内容の真贋を直ちに左右するわけではない、ということです。紙幅の都合で書けなかったこと、またゲラ段階で削除せざるを得なかったことがあり、ここだけを読むと、あたかも中帰連の方々の認罪証言が「洗脳の結果」であるという右派の主張を支持しているかのようにも思えるかもしれませんが、そういうことではありません。

 まず「洗脳」という単語が強い反共主義という文脈の中で受容されてきた、という点を押さえておきたいと思います。以前、インターネット上でどなたかの投稿を読んで「なるほど」と思ったことがあります。「洗う」という単語にはポジティヴな意味があるのに、なぜ「洗脳」にはおどろおどろしいイメージが付きまとうのだろう? といった趣旨だったと記憶しています。
 この反共バイアスを意識しつつ考えるなら、「洗脳」的な取調べというのは実はそれほど特異なものではないことがわかるはずです。

 草稿段階ではこの点を論証するために、「虚偽自白」研究の第一人者である浜田寿美男氏の業績に言及し、浜田氏が「日本の刑事司法における取調べ手法に「洗脳」と通底するものがあることを指摘している」という一節を先に引用した段落の結び部分に入れておりました。詳しくは浜田寿美男『新版 自白の研究―取調べる者と取調べられる者の心的構図』(北大路書房、二〇〇五年)の第四〜五章、特に二七一頁を参照していただきたいと思います。日本の刑事司法は「人質司法」と呼ばれるように、長期の身柄拘束、接見の大幅な制限、長時間に及ぶ取調べによって自白が強要されることは、刑事司法に批判的関心をもつ者にとっては常識となっています。身柄の拘束や接見の制限は外部の情報から被疑者を遮断することを意味しますが、これは「洗脳」の基本的な条件の一つです。

 ただ、ここで注意すべきは、「人質司法」が虚偽自白と冤罪の温床であるとして批判されるべきだからといって、「人質司法」の下で行われる自白が全て虚偽自白か? といえばそれは事実に反する、という点です。一般の人が漠然と思っている以上に虚偽自白や冤罪は発生している、と私は考えていますが、それでも多くの自白には犯罪事実が対応しているのです。中帰連の方々の告発(自己告発でもあります)を「洗脳」の結果として斥けることが誤っているのは、「意志に反する自白」には「やってもいないことは認めたくない、という意志」に反するものだけでなく、「やった犯罪を隠したい、罰を受けたくないという意志」に反するものもある、という当たり前の事実を無視しているから、なのです。