2015年3月25日水曜日

「朝日新聞を糾す国民会議」の訴状を読む

 現在日本軍「慰安婦」問題に関連して『朝日新聞』に対して起こされている集団訴訟のうち、もっとも多数の原告を集めているのが「朝日新聞を糾す国民会議」によるものである。私は3つの訴訟の訴状を読み比べたのだが、その内容、というよりその文体において「朝日新聞を糾す国民会議」のそれは突出して異様だ。
 訴状の「加害行為」の項には次のような一節がある。
 朝日新聞は、戦後、一貫して、社会主義幻想に取りつかれ、反日自虐のイデオロギーに骨絡みとなり、日本の新聞であるにもかかわらず、祖国を呪詛し、明治維新以来の日本近代史において、日本の独立と近代化のために涙ぐましい努力をしてきた先人を辱めることに躊躇することはない。旧軍の将兵を辱めるときは、ことさらそうである。実際のところ、明治の建軍以来、日本の軍隊は、国際法を遵守し、世界で最も軍律が厳しく道義が高かったにもかかわらずである。客観報道・事実の報道をするわけではなく、国論の分かれる問題については、「報道」ではなく「キャンペーン」を張るのが常であった。朝日新聞は、これまで、クオリティーペーパー(高級紙)、社会の木鐸などというもおこがましく、国家・国民を誤導してきたものである。
これではまるでアジビラである。裁判官がどんな顔をしてこの訴状を読むのか、見てみたいものだ。訴状は続いて訴えの原因となる13本の記事の掲載日と見出しを列挙し、こう述べている(下線は引用者)。
 先ずは、朝日新聞的思い入れたっぷりの表現で綴られた本件一連の虚報を通読されたい。赤面するか憤るか、驚倒すべきことに、有り体にいうと、これが 全部嘘なのである。
右翼的「思い入れたっぷりの表現」でこんなことを書いているので、おもわず笑ってしまった。
 「朝日新聞虚偽報道が招来した恐るべき事態」という項の最後はこう結ばれている。
 最後に、断言したい。「朝日新聞の本件一連の虚報なかりせば、今日の事態は 絶対にあり得なかった」と。
もちろん『朝日新聞』に限らずマスメディアの初期報道にはいまから見れば事実に即していないものがあったのも確かだが、他方でもし1991年の時点で、今日までに判明している史実をすべて正しく報道できていたとしたら、国際社会の日本軍「慰安婦」問題に対する評価は似たり寄ったりだったであろうことは疑いの余地がない。