『帝国の慰安婦』が「〈慰安婦=少女〉のイメージ」(64ページ)を批判するために援用している資料の一つが、有名な「日本人捕虜尋問報告 第49号」である(153ページにも資料名は記されていないが、おそらくはこの尋問報告が念頭におかれている記述がある)。もっとも、『帝国の慰安婦』巻末の参考文献には、この尋問報告も収録された『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』が挙げられているにもかかわらず、「平均年齢は二五歳」という一句が船橋洋一の『歴史和解の旅』(朝日選書)から孫引きされている。ここで朴裕河が尋問時の年齢と「慰安婦」にされた/なった時の年齢とを区別せずに論述していることについては、すでに yasugoro_2012 さんが指摘されている。しかしこれ以外にも、この資料の扱い方の問題点はいくつかある。
まず厳密に言えば尋問報告書には「平均年齢は二五歳」ではなく「平均的な朝鮮人慰安婦は二五歳くらい」(下線は引用者)とされていること。報告書の付録に記されている20名の年齢の平均を実際に計算してみると 23.2 歳となる。さらに、「平均的な朝鮮人慰安婦」の姿を知りたいからといって算術平均をとればよいというものではない。年齢の分布に偏りがある場合、平均は必ずしもよい指標にはならない。20名の年齢の最頻値と中央値はいずれも21歳である。女性たちが集められたのが尋問の2年前だということを計算に入れれば、19歳ということになる。
もちろん「日本人捕虜尋問報告 第49号」だけで朝鮮人「慰安婦」の全体像を捉えることはできないが、少なくともこの資料を根拠とするならば典型的な朝鮮人「慰安婦」は未成年のうちに徴集されたと判断しなければならない。この資料は『帝国の慰安婦』のテーゼを裏付けるものではなく、むしろ否定するものと言わねばならないだろう。
追記:この記事に関連してある読者の方より以下のようなご指摘をいただいたので、ご紹介させていただく。