2016年3月30日水曜日

3・28集会(「慰安婦問題」にどう向き合うか)に参加して

 管見の限りでは『ハンギョレ新聞』の日本語版サイトでしか報じられていないようですが、去る3月28日に東京大学駒場キャンパスで「『慰安婦問題』にどう向き合うか 朴裕河氏の論著とその評価を素材に」と題する集会が行なわれ(参加は事前登録制)、私も一参加者として議論に立ち会ってきました。集会で行なわれた議論の詳細を公表すること(するかしないかの決定も含めて)は主催者に委ねることとし、ここでは『帝国の慰安婦』に批判的な立場で参加した私の思ったところを書いておくことにしたいと思います。

 これまで『帝国の慰安婦』に関しては事実誤認、先行研究の誤解や無視、史料(資料)の不適切な扱いといった問題点が多数指摘されてきたわけですが、それらについて「いや、朴裕河氏の……という事実認識は正しい」「これこの通り、先行研究はきちんと踏まえられている」「その資料はきちんと文脈を踏まえて引用されている」というかたちでの具体的な反論は一切なかったと言ってよい、と思います(文末に注を追記)。西成彦氏、岩崎稔氏らの発表は、これらの瑕疵について曖昧に(「脇の甘いところがあるのは確か」といった表現で)認めたうえで、そうした瑕疵にもかかわらず『帝国の慰安婦』が持ちうる価値について語ろうとするものだったということになります。例えば西氏は「馬跳びの馬」という喩えを用いて、『帝国の慰安婦』を「跨ぎ越え、そして出来る限り遠くまで飛んでみせるのが研究のあるべき姿」だと主張していました。しかしながら、手を着けばバラバラになってしまうようなものは「馬跳びの馬」足りえません。下手に飛べば怪我をするだけです。「研究のあるべき姿」とはまずもって「先行研究」、この場合は『帝国の慰安婦』が「馬跳びの馬」足りうるものであるのかどうかを検証し、その検証結果を広く市民に伝えることなのではないでしょうか?

 もちろん、いかなる瑕疵もない先行研究などたとえあったとしてもごく稀でしょう。しかし『帝国の慰安婦』にかけられている嫌疑とは (1)その中心的な主張の論拠について、(2)とうてい軽微とはいえない深刻さの誤りが (3)少なからず存在している、というものなのです。28日に話題にならなかった――そして鄭栄桓氏による『帝国の慰安婦』批判の新刊『忘却のための「和解」』(世織書房、2016年3月)でもとりあげられていないケースをここで例にあげておきましょう。『帝国の慰安婦』の41ページで朴裕河氏は森崎和江の『からゆきさん』の一節を引用し、それを根拠として「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分は、高嶺の花だった買春を兵士の手にも届くことにすることだった」と主張しています。ところが、そこで引用されている『からゆきさん』の一節――歴史を扱った文献としては実に不用意なことに、「いつ、どこで」のことなのかが判然としないかたちで引用されています――はなんと日露戦争当時の大連の買春事情を記述したものなのです。これが1930年代後半に本格的に制度化されていった軍「慰安所」の「目的」に関する論拠たりえないことは明白でしょう。
 そして「慰安所」設置の「目的」に関する従来の通説の否定は、『帝国の慰安婦』の中心的な主張にとって大きな意味を持っています。「性病予防」などが軍の目的であったとする通説は「朝鮮人慰安婦」を「精神的『慰安』者」(77ページ)として描こうとする朴裕河氏にとって「殺伐」(85ページ)すぎるからです。また「性病予防」という目的は軍が「若い朝鮮人女性」を求める動機をもつ理由となったと考えられてきましたが(『帝国の慰安婦』が高く評価する千田夏光氏もまたそう考えていました)、「朝鮮人慰安婦」を「少女」として表象することを批判する朴裕河氏にとってそうした軍の動機は否定されねばならない(65ページ)ものだったからです。

 さてそうならば、『帝国の慰安婦』になお積極的な価値を見出そうとする人びとがなにをおいても行なわなければならないのは、次のような作業です。すなわち、これまでに問題が指摘されてきた多くの箇所(のうち反論しようのないもの)をすべて削除し、可能ならば補強を施したうえで『帝国の慰安婦』の中心的なテーゼが維持できるかどうかを検証すること、です。こうした作業抜きでは“建設的”な議論は成立し得ないでしょう。

 『帝国の慰安婦』に高い評価を与える人びとにもう一つお願いしたいのは、仮に『帝国の慰安婦』の主要なテーゼがこの社会で受けいれられたならばそれによって一体どのような展望がひらけるのか、具体的に示していただきたいということです。日韓間の敵意のスパイラルを止める。歴史修正主義が蔓延する状況を変える。日本軍「慰安婦」問題に解決をもたらす。いずれも私たちが直面している重要な課題でしょう。でも、こうした課題にとって『帝国の慰安婦』がいったいどのように貢献してくれるというのかが、私にはまったくわからないのです。むしろ現在の日本の言論状況を考えるなら、『帝国の慰安婦』は「問題が解決しないのは頑なな支援団体のせいである」というすでに日本社会で支配的になってしまっている認識を強化し、「もはや日本側がすべきことはなにもない」という意識を助長するだけではないのでしょうか? こうした疑問に説得力のある回答が与えられたならば、その時初めて私も『帝国の慰安婦』がもちうる積極的な価値の存在を信じることができるでしょう。



注:記事を公開してから、具体的な論点についての反論と評すべきものが一つあったと言えるかもしれない、と思いあたったので追記しておく。『帝国の慰安婦』が元「慰安婦」の「多様」な声を知らしめたという評価が妥当かどうか、という論点をめぐって。これについては (a) そもそも朴裕河氏が挺対協らの編纂した証言集に大きく依存していることから明らかなように、支援団体は決して「多様」な声を隠蔽したりしていないという批判と、(b) 『帝国の慰安婦』は正しく元「慰安婦」の声を聞き取っているのか、被害者の証言を文脈から外れて断片的に利用したり、男性日本人作家の小説を無批判に利用してはいないか、という批判が行なわれた。これに対して、しかし支援団体らの「マスターナラティヴ」としてはやはり「被害者」という側面が前面に出ていたのは事実ではないのか、という再反論が提示された。
 ただ、これが (a) の論点に関しては再反論となっているにしても、(b) の論点についてはそうではない、ということに留意する必要がある。
 なおこの点について私見を述べるなら、リドレス運動という文脈で「マスターナラティヴ」が「被害」の側面に偏することがあったとして、それを支援団体に帰責するのが妥当かどうか、という問題がまずはあろう。むしろ、被害者の尊厳に留意しつつも別の文脈を構築できなかった社会(特に研究者)の側にこそ反省すべき点はあるのではないか。次に、韓国の言論事情についてはいざしらず、日本においては「兵士との恋愛や仲間意識」「業者の責任」などは右派論壇においてむしろ積極的に語られてきた、という事情がある。こうした右派からの対抗言説も踏まえて判断したとき、『帝国の慰安婦』がなにか新しい「声」を日本社会に提示できているのかどうか、吟味すべきことではないだろうか。




2015年11月8日日曜日

「慰安婦」問題否認論と痩せ細った「自由」

南京大虐殺否定論と日本軍「慰安婦」問題否認論との間には共通点が多々ありますが、かなり重要だと思われる違いもあります。後者の場合、「まさに日本軍『慰安所』制度が性奴隷制であった」ことを示す文書を得意げに持ち出して旧日本軍を弁護しようとする現象が非常にポピュラーなのですが、前者についてそういうケースはあまり記憶にありません。日本軍「慰安婦」問題の場合、ある事実の存否をめぐる争い以上に存否については争いのない事実についての理解の違いが焦点となることが多いということです。

例えば否認派は「廃業を許可する規定があった」とか「外出を許可されたとこの文書に書いてある」などと主張します。廃業や外出に「許可」が必要であったという事実こそ、軍「慰安所」制度が性奴隷制とされる所以なのですが。その点を指摘されると「働かなければ食っていけないのは我々だって同じだ」とか「会社員だって勤務中に勝手に出かけることはできない」とか「『慰安婦』に居住の自由がなかったというなら、転勤のあるサラリーマンだって同じじゃないか」などと彼らは“反論”します。匿名のネット右翼がこうした主張をするだけでなく、吉見義明教授に損害賠償請求訴訟を起こされた桜内文城氏(元霞が関の官僚にして元国会議員)が法廷で同じような主張をしているのですから、ただの「たわごと」として片付けることもできません。

むしろ日本軍「慰安婦」問題否認論者の認識は、この社会で蔓延している「自由」についての貧しい理解と通底していると考えるべき理由があります。例えばサーチエンジンで「有給 理由」をキーワードとして検索してみると、「有給休暇を所得するにあたって、会社に申し立ててよい理由とはどのようなものか?」に関連したコンテンツが多数見つかります。しかもそのうちの少なからぬ割合を、「有給を取得するにあたっては、社会人として妥当な理由を申し立てるべきである」という認識に立つものが占めているのです。

また在特会などいわゆる「行動する保守」諸団体の街宣に際して、彼らが抗議者に対し「私たちは(街宣の)許可を取っている!」と叫ぶのもおなじみの光景です。

これらの事例は、有給休暇の取得や政治的見解の表明の「自由」が、勤務先や警察の「許可」に従属していることを当然視する認識が、この社会では決してまれなものではないことを示しています。有給休暇の取得にあたっては会社が納得する理由がなければならないと考える人が、「外出を許可されていたのなら外出の自由はあったんじゃないか」と考えるのは不思議ではないのでしょう。

もしそうだとすれば、日本軍「慰安所」制度の問題点をこの社会が正しく理解することは、現代を生きる私たち自身がまともな自由を取り戻すことにもつながるのであり、逆に言えば「私たちがいかに自由でないか」への気づきなくして日本軍「慰安婦」問題否認論の克服もない、ということになるのではないでしょうか。

2015年10月26日月曜日

見開き図版、綴じ(ノド)部分について

 『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(能川元一+早川タダノリ、合同出版、2015年9月)に掲載された図版のうち、見開きで掲載されているため綴じ(ノド)部分が判読しにくくなっているものが少なからずあります。以下、隠れている綴じ部分のみを掲載いたします。
・図1-1
・図1-2
・図1-6
・図1-9、1-10
・図1-12
・図2-1


・図2-5

・図2-6、2-7

・図2-8

・図3-3

・図3-4

・図3-9、3-10

・図3-11

・図4-6、4-7

・図4-8



・図5-6

・図5-7

・図5-9


・図6-1

・図6-2

・図6-5

・図6-8

・図7-1


・図7-9


・図9-8

・図9-9














2015年9月13日日曜日

『憎悪の広告』図版関連データ(非公式版)

 『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(能川元一+早川タダノリ、合同出版、2015年9月)に掲載された図版について非公式に集計したデータです。
・総図版数=146点 うち複数の章で重複して用いられているものが5点あるので実質は141点。


・『正論』の広告が59点、『SAPIO』の広告が41点、『諸君!』の広告が38点、その他が3点。
 臨時増刊号を除外して計算すると、『正論』と『諸君!』については調査対象期間(ただし『諸君!』は2009年に廃刊)の広告の2割超をカバー。『SAPIO』は2012年11月号以前は月2回刊だったため母数が大きく、1割程度の収録率。

・1994年〜1999年のものが26点、2000年〜2004年が40点、2005年〜2009年が38点、2010年以降が37点。

・広告にレイアウトされた肖像写真の数。(  )内は寄稿者として登場している号の数
 安倍晋三=30(11)
 石原慎太郎=24(19)
 櫻井よしこ=35(35)

・広告中で「朝日」ないし「朝日新聞」への言及があるのは34点。

2015年9月12日土曜日

『憎悪の広告』正誤表(15年9月10日時点)

 『憎悪の広告 右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(能川元一+早川タダノリ、合同出版、2015年9月)の初版1刷に残っていた誤植の正誤表です。お買いあげいただいた方々にお詫びいたします。(遺憾ながら)さらに発見した場合にはこの記事に追記してまいります。
・106ページ、図8-3へのコメント  誤:「だから日本が好きだ」 正:「だから、日本が好きだ」
 ・135ページ、図10-2へのコメント   誤:「阿南大使よ、」 正:「阿南大使、」
 ・170ページ本文下段   誤:国際人権委 正:国連人権委
 ・182181ページ本文(10月29日:読者の方からのご指摘により訂正)  誤:韓国と河野談話に転化 正:韓国と河野談話に転嫁
・199ページ、注(2)   誤:吉田裕『日本人の戦争観…… 正:吉田裕、『日本人の戦争観……



2015年8月22日土曜日

『憎悪の広告』(合同出版)、まもなく刊行です

『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版/ちくま文庫)等の著書がある早川タダノリさんとの共著、『憎悪の広告−−右派系オピニオン誌 「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』が合同出版より9月上旬に刊行されることとなりました。
http://www.godo-shuppan.co.jp/products/detail.php?product_id=481
全208ページで141点の図版(うち139点が右派論壇誌の新聞広告)を掲載、広告に踊るコピーを通して右派論壇の20年史を描き出そうとする試みです。
本に盛り込めなかった情報などは当ブログやツイッターなどでおいおい補足させていただく予定です。

2015年7月4日土曜日

「未来のための歴史パネル展」プロジェクトについて

今、日本では過去の侵略や加害の歴史を軽視したり、なかったことにしたりしようとする、歴史修正主義の動きがさかんになっています。テレビ、書籍、新聞、雑誌といったメディアでも、政治の場でも、過去の歴史を都合よく解釈し「日本はつねに正しかったのに、不当に攻撃されている」とする主張がよく見られます。市民会館などの公共施設でこうした意見を広めるパネル展を多くおこなっている団体もあります。こうした動きはアジアの国々や人々や、外国とのつながりを持つ、日本で暮らす人々への敵意や憎悪を煽ったり、差別と偏見を強めたりします。  私たちは、こうした状況を見過ごすことはできない、と決心しました。私たちは、人が差別されたり追放されたりする社会を望みません。人と人、国と国が対立し争い合う未来を望みません。未来は、過去の歴史をきちんと認識することによってしか開けません。多数派の人々にとって心地のよい物語だけが語られる社会になってはならないと考えます。  すべての人に開かれた歴史を知り、多くの人たちと共有するために、まず日本と韓国・朝鮮の近代史を考えるパネルを作りたいと思います。2015年の夏までに、専門家の助言も得て40枚のパネルを作り、8月を皮切りに、各地で展示をする予定です。完成したパネルを無料でお貸しし、展示の輪を広げたいと思います。できるだけ軽いパネルにして、送料を安くする工夫も考えています。  このプロジェクトの目標は日本に暮らす様々な人々と、東アジアの国々に暮らす様々な人々と、ともに歴史に向き合い、お互いの未来を考えていく場を作ることです。息の長い活動にしてゆきたいと思っています。皆様のご指導、ご協力、ご支援をよろしくお願い致します。 パネル制作費の寄付を募っています。こちらに案内記事がありますので、ごらんください。http://mirepa.tumblr.com/post/122771668626

2015年5月3日日曜日

『帝国の慰安婦』における植民地/占領地の二分法について/『帝国の慰安婦』私的コメント(4)

1. 『帝国の慰安婦』における「植民地/占領地」図式  日本軍「慰安婦」とされた女性たちの境遇が多様であったこと、その多様性をもたらす要因の一つが女性の国籍およびエスニィシティであったことは先行研究においても指摘されてきたことである。その限りでは、「植民地出身の慰安婦」と「占領地出身の慰安婦」の区別そのものは目新しいものではない。『帝国の慰安婦』の特徴は植民地/占領地という区別を強調することにより、占領地出身の「慰安婦」は「厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)とまで主張するところにある。  では植民地出身の(というより朝鮮人の)「慰安婦」と占領地出身の「慰安婦」の違いとは何か? 『帝国の慰安婦』によれば、その違いは「そこで朝鮮人は『日本人』でもあった」(57ページ)こと、他民族の「慰安婦」とは異なり「〈故郷〉の役割」(45ページ)や「女房」(71ページ)としての役割、「精神的『慰安』者としての役割」(77ページ)、「〈代替日本人〉」の役割を期待されまた果たすことができ、日本人兵士との間に「『同じ日本人』としての〈同志的関係〉」(83ページ)を持っていたことだ、とされている。  朴裕河氏のこのような主張を支えているのが「〈自発の自己強制〉」(60ページ)、強制的な協力(144ページ)、といった概念である。すなわち、「構造的に誰かが国家による国民動員の〈協力者〉になるほかなかった状況こそが、〈植民地という事態〉だった」(49-50ページ)のであり、それゆえに植民地出身の「慰安婦」と占領地出身の「慰安婦」とは峻別されねばならない、というのである。 2. 「植民地/占領地」図式の観念性  このような図式の問題点の一つは、それがあまりにも観念的であるという点にある。『帝国の慰安婦』を一読すれば明らかなことだが、「慰安婦」たちの体験の「多様性」を強調する同書は同じ「植民地」である台湾の元「慰安婦」の「声」にも、また占領地の「慰安婦」として朝鮮人「慰安婦」と対照をなすはずの中国・フィリピン・インドネシア等の被害者たちの「声」にも、ほとんど関心を払っていない。普通に考えれば、『帝国の慰安婦』の中心的なテーゼの妥当性を確証するには、他地域出身の「慰安婦」の体験との比較対照が不可欠なはずである。植民地/占領地の峻別に基づく同書の主張は、朝鮮半島よりも日本の植民地としての歴史が長い台湾人「慰安婦」については少なくとも朝鮮人「慰安婦」と同等程度に妥当しなければならないはずである。また、著者が主張するような植民地出身の「慰安婦」の特異性が実際に認められるのかどうかは、占領地から動員された「慰安婦」の体験との違いに基づいて判断されねばならないはずである。しかし同書では植民地の「慰安婦」と占領地の「慰安婦」との違いはいわば自明の前提とされており、著者が朝鮮人元「慰安婦」の証言集や日本人作家の著作から拾い上げた「声」は直ちに朝鮮人慰安婦の経験の特異性を示すものとされてしまっている。  その結果として、「慰安婦」の体験の多様性を強調しているはずの同書は占領地の「慰安婦」たちの体験については非常に単純化されたイメージを提示することになってしまっている。そもそも“協力を強制される”のは植民地に固有のことではなく、占領地においても生じることである。「満洲」国や汪兆銘政権のような日本軍の傀儡政権下で暮らしていた人々は、なるほど朝鮮人や台湾人のように「日本人」とされることこそなかったものの、日本の同盟国の住民にはされていたのであり、「皇民化教育」に対応するものとして「五族共和」や「大東亜共栄圏」といったプロパガンダによる精神的な動員の対象にもされていたのである。果たして著者や『帝国の慰安婦』の賞賛者たちは「漢奸」という言葉を聞いたことがないのだろうか? 日本軍の燼滅掃討作戦(三光作戦)の対象となった華北地域の元「慰安婦」被害者ですら、戦後に「対日協力者」扱いされることがあったのは、支援者や研究者にとってはよく知られた話である。  もちろん、植民地と占領地の共通点を踏まえてもなお両者の間には“強制された自発性”の様態や程度に違いはあると主張することは可能であろうが、そうした主張の根拠を示すための作業は同書においては一切なされていない。それでいて「娘子軍〔=朝鮮人「慰安婦」〕、従軍慰安婦こそがもっとも悲惨な体験をしたことは忘れられるべきではない」(141ページ)などと断じるのは、他地域の「慰安婦」被害者に対する侮辱ではないのだろうか?  植民地/占領地という図式の(悪い意味での)観念性は、「ホロコーストには朝鮮人慰安婦が持つ矛盾−−すなわち被害者で協力者という二重の構造は、すくなくとも一般的にはない」(156ページ)という、かなり乱暴な主張にも反映している。書評において朴裕河氏を「一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレント」になぞらえた政治学者は、その朴氏本人がユダヤ人評議会の対独協力(あるいは「ゾンダーコマンド」の存在)など念頭に置いていないらしいことを、どう考えているのだろうか? 3. 「植民地の慰安婦」概念そのものの混乱  さらに、『帝国の慰安婦』における「植民地の慰安婦」概念には次に述べるような混乱がみうけられ、著者が朝鮮半島出身の「慰安婦」という存在について整合的な理解を持っているのかどうかすら疑われる。
 例えば著者は朝鮮人「慰安婦」の特徴として「日本語の理解度が高」かったことを挙げている(138ページ)。しかし「挺身隊」と「慰安婦」との違いを述べる際には、「挺身隊に動員された若い人は学校教育システムの中にいた者たち」(54ページ)だったのに対して「現実に現れている『慰安婦』の多くが、貧困による無学者か、低レベルの教育しか受けなかった人たちである」(53-54ページ)とされているのである(149ページも参照)。1943年末の段階で日本語能力が「悄々〔=少々〕解しうる」レベルだった朝鮮人が9.9%、「普通会話に差支なき」レベルであった朝鮮人が12.3%であった(趙景達、『植民地朝鮮と日本』、岩波新書、189ページ)ことを考えるなら、「多くが、貧困による無学者か、低レベルの教育しか受けなかった」朝鮮人「慰安婦」たち一般にそのような言語的アドバンテージがどの程度あったのか、はなはだ疑問と言わねばならない。  さらに、著者は「朝鮮人慰安婦」という存在を生み出した原因について「朝鮮が植民地化したということこそがもっとも大きな原因」(138ページ)だと言う一方で、「朝鮮人女性が多かったのは確かでも、そのことが宗主国日本が意識して植民地の女性をターゲットにして動員した、ということになるのではない」(137ページ)、「つまり、植民地だったことが、最初から朝鮮人女性が慰安婦の中に多かった理由だったのではない」(同所)、とも主張している。「内地という〈中心〉を支える日本のローカル地域になり、改善されることのなかった貧困こそが、戦争遂行のための安い労働力を提供する構造を作ったのである」(138ページ)、とも。さらに「家父長制と国家主義と植民地主義」が「朝鮮人慰安婦」を生み出したとしている箇所もある(34ページ、また38、66ページも参照)。植民地主義、構造的貧困、家父長制、国家主義……いずれも日本軍「慰安婦」の存在を考えるうえで重要な論点であるのは確かだが、構造的貧困や家父長制などは植民地朝鮮に固有の問題ではない。これだけ論旨が混乱していると果たして「朝鮮人慰安婦」にどれほどの固有性があると言えるのか、読者としては困惑するしかあるまい。 4. 「帝国」概念の混乱  「植民地」と対をなす「帝国」の概念もまた首尾一貫して用いられているとは言い難い。例えば次の一節をご覧いただきたい。
 「慰安婦」という存在は帝国主義(近代化)とともに組織化されたが、帝国崩壊後にもアジアで「慰安婦」システムが続いたのはすぐに本格化した冷戦体制のためだった。一九六五年の日韓協定が個人の被害が十分に考慮されないまま結ばれたのも、冷戦体制下にいたためだったことを考えると、近現代の慰安婦たちは帝国主義に動員され、冷戦維持に利用され、しかも冷戦のために補償してもらえなかったことになる。そしてアメリカの軍基地体制を新帝国体制と呼べるなら、いまなお世界の覇権を目指す帝国に女たちは利用されていると言わねばならない。(295ページ)
これは在韓米軍基地周辺、いわゆる「基地村」の売買春問題について述べた部分の一節である。植民地の「慰安婦」と占領地の「慰安婦」の区別にあれほどこだわった著者は、ここでは1937年以降本格的に制度化された日本軍「慰安所」制度を「近代化」とともに組織化されたものとし、日本敗戦後の韓国「基地村慰安婦」にも連なるものとしている。このような意味で「帝国」を用いるなら、植民地と占領地を峻別することに一体どのような意味があったのだろうか? 同じく、韓国「基地村」問題について、著者は次のようにも述べている。
 日本軍慰安婦問題が注目されたのは、彼女たちの体験を深刻な人権蹂躙と考えるほかないような過酷なものだったからである。しかし、米軍のために用意された女性たちの生活も、米軍の相手をするようになるまでの過程や、その後の生活を見る限り、日本軍慰安婦の状況と根本的には違いがない。彼女たちもまた、同じような悲惨な生活をしたのであり、そのような苦痛が、モノとしてあつかわれるような環境と、過酷な性労働ゆえのものだったのは言うまでもない。そして彼女たちがそのような境遇に陥ったのは、そこに国家が作った軍隊があったからである。(290ページ)
これが「朝鮮人慰安婦」は当時においては「日本人」であったことを強調し、「中国人女性たちは(中略)厳密な意味では『慰安婦』とは言えない」(45ページ)と主張した著者の筆から出た文言であると信じることができるだろうか?

2015年4月7日火曜日

千田夏光氏の「時代的拘束」について

 『帝国の慰安婦』は「いわゆる『慰安婦問題』の発生後の研究や発言が、『日本軍』をめぐる過去の解釈にとどまらず、発話者自身が拠って立つ現実政治の姿勢表明になった」とし、1973年に『〝声なき女〟八万人の告発−−従軍慰安婦』(双葉社)を刊行した千田夏光氏については「そのような時代的な拘束から自由だった」であろうとしている(いずれも26ページ)。73年に書かれた本が91年以降の「時代的な拘束」をまぬがれているのは当然であり、またそれゆえに一定の意義を持つであろうことは確かだろうが、逆に千田氏は千田氏で彼自身が属した時代に「拘束」されてもいたはずである。

 例えば双葉社版97-98ページ、講談社文庫版122ページには元関東軍参謀原善四郎氏と千田氏との対話の形で次のようなやりとりが記されている。
(前略) 「すると、朝鮮人女性は兵隊の精神鎮痛剤もしくは安定剤だったのですね。日本人の女性を集めることは考えなかったのですか。考えなかったとすれば、朝鮮人女性の方が集めるに罪悪感もしくは、抵抗感を覚えなくて済むからだったのですね」 「北満の駐屯地には大連(現旅大市)とか奉天(審陽)の花柳街から鞍替えして来た日本人女性もいました」 「でもそれはいわゆる慰安婦でない、つまり普通の商売女だったのではないですか」 「そうかも知れません」
「花柳街から鞍替えして来た日本人女性」について「慰安婦でない、つまり普通の商売女」だとしているのが千田氏の方である。『帝国の慰安婦』でも批判されている認識、すなわち女性を「商売女」とそれ以外とに分け、「慰安婦」制度の問題点を“無垢な女性”に性的サービスを強要した点に見いだす発想を千田氏が(そしてまた原氏も)持っていたことがわかる。

 また「閑な部隊では慰安婦は軍人にとって『部隊の一員』であり、『女房みたい』に扱われていたと言う」(71ページ)という記述の根拠として『帝国の慰安婦』の70-71ページで引用されている元陸軍将校の証言(双葉版65-67ページ、文庫版84-86ページ)のうち朴裕河氏が引用していない部分には、軍医の検診を受けている「慰安婦」の様子を「高倍率の双眼鏡」で覗いていたという“思い出話”も含まれている(「楽しみといってはなんですが、検診もまた兵隊は楽しんでいました」「股をひろげているのが手に届くように見えるのです」「彼女らの検診まで、無聊をかこつ兵隊にとっては憂さを晴らす材料になっていたのでした」)。時として元軍人たちの人権意識に批判的なコメントもしている千田氏は、このエピソードについては「ここでわかるのは、兵隊たちは腰をすえる警備段階になると、彼女らを性欲の処理対象としてだけで見なくなっていたようであることだ。それにしてもユーモラスなのはこんな話であった」とコメントしている(双葉版67ページ、文庫版86ページ)。1924年生まれの故人が、検診の場面すら性的に消費される女性たちの立場を想像できていないことをあげつらっても詮無いことだ、とは言えるかもしれない。しかし性暴力についてのこのような「時代的な拘束」を被っている男たちの口から語られる「女房みたい」「部隊の一員」を現代の私たちが評価するにあたっては細心の注意を要するはずである。

 千田氏の「時代的拘束」のもう一つの例としては、日本軍が占領地から動員した「慰安婦」の徴集方法に関する認識がある(双葉版187-190ページ、文庫版227-230ページ)。「中国人、マレー人、タイ人、ビルマ人、インド人女性」ら「現地人女性」は「自由売春」「単純に金銭欲からくる意思による売春であるとしていい」とされ、「現地軍による現地人女性の強制慰安婦化はなかったのである」としてしまっているのである。むしろ占領地でこそ起こっていた直接的暴力による拉致・監禁を突き止められなかったことはやむを得ないことであったかもしれない。問題はむしろ、「現地人女性」の置かれていた立場を「敗戦後の日本女性と進駐軍とのあり方や関係とくらべて見た方がいい」という視点を持っていながらなお、「はっきり言えば自由意志による単純売春希望者の募集」であったと千田氏が考えている点にある。「彼女らにそうしなければならぬ状況をつくらせたものへの追究はここでもおくとして」(原文の傍点を下線に変更)とか「被占領地になるという状況が、こうした女性を生み出していくことも事実」だと断っている千田氏がなぜここまではっきりと「自由意志による単純売春」だと言ってしまえるのか不思議でならないが、「時代的拘束」のなせるわざということなのだろうか。

2015年4月2日木曜日

「挺身隊」を知らなかった千田夏光氏

 以前に千田夏光氏の『従軍慰安婦』を読んだのはずいぶん前のことなので、今回読み直して色々と発見があったのだが、その一つに千田氏が「挺身隊という言葉のあること」を取材を通じて「初めて知りました」と述べていることがある(講談社文庫版、148ページ)。1924年生まれで敗戦時には成人しており、戦後は新聞記者として働き、写真集『日本の戦歴』の編集にも関わった千田氏が「挺身隊」という語の存在すら知らなかった、というのである。
 
 しかし考えてみれば、戦時動員をどういう名目で、どういう法的根拠で行うかといったことは動員する側の関心事ではあっても、動員される側にしてみればそうとは限らない。むしろ「動員されること」それ自体がまずは重大なのであって、その名目やら法的根拠は二の次、三の次だというのが普通だろう。

 右派は「挺身隊」と「慰安婦」の混同についてあれこれと邪推して見せるわけだが、動員された側に取材したジャーナリストが「(女子勤労)挺身隊」が正確にはなんであるのかについてさほど関心を持たなかったとしても、特に不思議はないのではないだろうか。

2015年4月1日水曜日

かつて自分が援用した資料を否定する秦郁彦氏

 秦郁彦氏が日本軍「慰安婦」の総数についての推定を下方修正し続けてきた歴史についてはすでに多くの方が指摘している。だが3月17日に日本外国特派員協会で行った会見で、秦氏は他にも過去の自分の著作を否定するかのような発言をしている。マグロウ・ヒル社の歴史教科書に、「慰安婦」が「天皇からの贈り物である」という記述があることについて、秦氏は「国家元首に対する、あまりにも非常識な表現だろうと思います」と述べた。だが1999年の著作『慰安婦と戦場の性』は『元下級兵士が体験見聞した従軍慰安婦』(曾根一夫、白石書店、1993年)を援用し、「慰安所」に行こうとする兵士たちに上官が「大元帥陛下におかせられましては、戦地に在る将兵をおいたわりくだされて、慰安するための女性をつかわしくだされ……」と訓示した例があることを紹介している(74ページ)。秦氏はこの事例について「隊長たちは、部下兵士たちに慰安所を使わせる名分に苦労したらしい」と考察しているが、国家の一部門たる軍隊が買春施設を設けることをどう理解するかという問題に対して、まさしく「天皇からの贈り物」という「名分」を用いた将校がいたわけである。
 さらに太平洋戦争期になり「慰安婦」を船舶輸送する必要が生じた際、陸軍では42年4月頃から人事局恩賞課がその調整の窓口となったとしている(104ページ)。さすがに恩賞課の担当事項のうち「恩給、賜金」としてではなく「軍人援護、職業補導其ノ他厚生ニ関スル事項」のうちの「其ノ他厚生」としてであったが、官僚機構としての軍における「慰安婦」の位置付けが「天皇からの贈り物」に類するものとされていたことをこれは物語っているのではないだろうか?


追記:陸軍省軍事課に長く勤務した軍官僚、西浦進の回想『昭和戦争史の証言 日本陸軍終焉の真実』(日経ビジネス人文庫)を読んでいたら「慰安所」に関わる記述があったので紹介する。なお同書は、1947年にまとめられ小部数がタイプ印刷されたものが西浦の死後原書房から刊行され、2013年に改題のうえ文庫化されたものである。「慰安所」に関する記述は「所管争い」という小見出しがつけられた一節に含まれている(文庫版、143ページ)。わずか数行なので全文を引用する。原文のルビを( )内に移した。
 もう一つ、支那事変の初め、慰安所が初めて設けられることになった。中央における担任課はどこかということで一議論あった。軍紀風紀という点からいえば兵務課、衛生という点からは衛生課、恤兵(じゅつぺい)なれば恤兵部、何れにも属せざる事項とすれば官房、というので大分議論があったが、結局、恤兵部あたりで内地の仕事はすることになった。
なお『慰安婦と戦場の性』で人事局恩賞課が担当したとされているのは船舶輸送の調整であるから、「内地の仕事」の所管に関する上記の西浦の回想との間に齟齬があるわけではない。

2015年3月28日土曜日

『帝国の慰安婦』の驚くべきアナクロニズムについて/『帝国の慰安婦』私的コメント(3)

 『帝国の慰安婦』は41ページで森崎和江の『からゆきさん』(朝日新聞社、1976年)から次のような引用を行っている。傍点を下線に改めた。
 女たちは野戦郵便局から日々ふるさとへ送金した。送られる金は、はじめのうちは一人一日百円以下は少なくて、四、五百円のものもいるというぐあいだったが、やがて国内の娼妓と同じ苦境におちいった。女たちの数がますますふえていったためである。これらの店にあがることもできない兵士や労働者たちを客とする私娼窟もふえた。(森崎、一五五頁)
 この引用の第一の問題点は、引用文中にある傍点(ここでは下線)が森崎の原文には存在しない、ということである。傍点が引用者によるものだという断り書きもない。『帝国の慰安婦』には千田夏光の著作からの引用に際しても無断で傍点を付した箇所が複数ある。いずれも、研究者にあるまじきルール違反である(注1)(注2)。
 しかし問題点はそれだけではない。著者は上記の引用に続けてこう主張している。「おそらく、軍慰安所の第一の目的、あるいは意識されずとも機能してしまった部分は、高嶺の花だった買春を兵士の手にも届くものにすることだった」、と(41ページ)。当然、読者は『からゆきさん』からの上記引用が日中戦争の全面化に近い時期のものであると考えるだろう。
 ところが、出典にあたれば『からゆきさん』の上記の記述は1905年(明治38年)、日露戦争中の大連における売買春施設に関するものであることがわかる。1937年9月以降に本格的に制度化された日本軍「慰安所」制度の「目的」なり「機能」を1905年・大連での日本軍兵士の買春事情から推測するのがナンセンスであることは歴史学の素人にとっても明白であろう。しかし『帝国の慰安婦』は「いつ・どこで」がわからないようなかたちで『からゆきさん』からの引用を行うことにより、この驚くべきアナクロニズム(時代錯誤)を隠蔽してしまっているのである。
 『帝国の慰安婦』には他にも、およそ合理的な根拠なしに「慰安所」設置の目的に関して通説を否定している箇所が存在する。それについてはまた別稿で指摘することにしたい。
注1:さらに細かいことを言うなら、引用されている段落は「女たちは……」で始まるわけではなく、その前に1センテンスが存在する。その1センテンスが省略されていることも断られていない。しかし、本書に関してこの程度の問題を指摘していたらきりがないので、以後いちいち指摘しないかもしれないことをあらかじめお断りしておく。
注2:打ち消し線部分は筆者の誤認であったので、訂正するとともに朴裕河氏に謝罪したい。詳しくは改めて付記するが、取り急ぎ訂正と謝罪まで。ただし、注1の指摘については有効である。

2015年3月25日水曜日

「朝日新聞を糾す国民会議」の訴状を読む

 現在日本軍「慰安婦」問題に関連して『朝日新聞』に対して起こされている集団訴訟のうち、もっとも多数の原告を集めているのが「朝日新聞を糾す国民会議」によるものである。私は3つの訴訟の訴状を読み比べたのだが、その内容、というよりその文体において「朝日新聞を糾す国民会議」のそれは突出して異様だ。
 訴状の「加害行為」の項には次のような一節がある。
 朝日新聞は、戦後、一貫して、社会主義幻想に取りつかれ、反日自虐のイデオロギーに骨絡みとなり、日本の新聞であるにもかかわらず、祖国を呪詛し、明治維新以来の日本近代史において、日本の独立と近代化のために涙ぐましい努力をしてきた先人を辱めることに躊躇することはない。旧軍の将兵を辱めるときは、ことさらそうである。実際のところ、明治の建軍以来、日本の軍隊は、国際法を遵守し、世界で最も軍律が厳しく道義が高かったにもかかわらずである。客観報道・事実の報道をするわけではなく、国論の分かれる問題については、「報道」ではなく「キャンペーン」を張るのが常であった。朝日新聞は、これまで、クオリティーペーパー(高級紙)、社会の木鐸などというもおこがましく、国家・国民を誤導してきたものである。
これではまるでアジビラである。裁判官がどんな顔をしてこの訴状を読むのか、見てみたいものだ。訴状は続いて訴えの原因となる13本の記事の掲載日と見出しを列挙し、こう述べている(下線は引用者)。
 先ずは、朝日新聞的思い入れたっぷりの表現で綴られた本件一連の虚報を通読されたい。赤面するか憤るか、驚倒すべきことに、有り体にいうと、これが 全部嘘なのである。
右翼的「思い入れたっぷりの表現」でこんなことを書いているので、おもわず笑ってしまった。
 「朝日新聞虚偽報道が招来した恐るべき事態」という項の最後はこう結ばれている。
 最後に、断言したい。「朝日新聞の本件一連の虚報なかりせば、今日の事態は 絶対にあり得なかった」と。
もちろん『朝日新聞』に限らずマスメディアの初期報道にはいまから見れば事実に即していないものがあったのも確かだが、他方でもし1991年の時点で、今日までに判明している史実をすべて正しく報道できていたとしたら、国際社会の日本軍「慰安婦」問題に対する評価は似たり寄ったりだったであろうことは疑いの余地がない。