2015年2月7日土曜日

「ネット右翼」の道徳概念システム(3)

『現代の理論』(明石書店)2008年新春号に掲載された拙稿の元原稿を、許可を得て公開します。一部の表現に違いはありますが論旨に変わりはありません。なお、執筆した2007年当時の情勢を念頭に置いて書かれたものであることをご承知おきください。

 前置きが長くなったが、ここで「ネット右翼」が特にどのようなトピックをめぐって活発に発言しているのかを見てみることにしよう。ただし、以下のリストは網羅的であることを目指してはいない。
(1)歴史認識・東アジア情勢
 中国、韓国、北朝鮮に「特定アジア」という蔑称が用いられ、これら三国についての否定的な情報を虚実取り混ぜ消費、再生産している。戦争責任はもっぱら「特定アジア」が言い立てているというのが彼らの認識であり、それゆえ安倍前首相がアメリカの圧力によって「従軍慰安婦」についての自説を表向き撤回したことは「中国によるロビー活動の結果」であるといった陰謀論的解釈を施される。
(2)軍事・憲法九条
 九条「護憲」派や反戦運動への態度が冷笑的であるのは特に説明を要しないだろう。注目すべきは例えば米軍が使用する劣化ウラン弾や白燐弾を非人道的兵器であるとする主張への強固な否定論が存在することである。これは、旧軍による戦争犯罪の否認が単に戦前の日本を美化したいという欲求だけに根拠をもっているわけではなく、戦争被害一般に対するシニカルな態度が存在していることをうかがわせる。
(3)朝日・岩波的なもの
 前記のように「日本の言論界は左傾していた」というのが彼らの発言を支える大きな前提となっており、その象徴として朝日新聞や「岩波文化人」が頭ごなしの否定の対象となる。このような前提の下では、例えば南京事件否定論が非正統的な主張として扱われれば扱われるほど(注3)より魅力的なものに見えてしまう、という現象が起きる。
(注3) 旧日本軍の戦争犯罪を認めることに到底積極的とは言えない日本政府も、南京事件否定論を歴史教科書に記載することは認めておらず、外務省ホームページの「歴史問題Q&A」にも「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難」という但し書きつきながら「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と記載されている。
(4)声をあげる少数派
 フェミニズム、労働組合(特に日教組)、市民運動、在日韓国朝鮮人、部落解放同盟、創価学会などは恒常的なバッシングの対象である。市民運動の活動家には「プロ市民」という蔑称が奉られている。小熊英二らが「つくる会」の支持者について指摘したのと同様、少なくない「ネット右翼」が自らを「普通の人」として表象している(そしてまた、実際にもその通りであることが多いのだろう)一方で、強い被害者意識、少数派意識を示すことがある。ネット上の南京事件否定派は自らを「真実に目覚めた少数の先覚者」と規定してみたり、他方では「虐殺など無かったことは誰の目にも明らかになった」と多数派であることを誇ったりする。このような両義的な自己意識も注目に値する。
(5)刑事犯罪
 「加害者の人権より被害者の人権」を合い言葉に厳罰を主張する動き、および容疑者を在日外国人と断定する(在日外国人による犯罪を強調する)動きとが特徴的である。伊藤一長・長崎前市長が銃撃され殺害された事件でも、容疑者が在日韓国(朝鮮)人であるというデマがネット上では流布した。
 (4)と(5)からの帰結として、活動家に対する公安の微罪逮捕、別件逮捕などにはまったく問題意識をもたずむしろ「当然」であるとする。例外的に「被疑者の権利」が擁護されるのは痴漢冤罪事件のケースであるが、代用監獄などの問題を抱える日本の司法への批判というより、性犯罪の被害者へのバッシング(犠牲者非難)としての性格が顕著である。
 一見したところ「政治的」ではない話題をめぐって「祭り」が発生した事例として、心臓移植が必要な女児に海外での移植手術を受けさせるための募金活動が「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、バッシングされたケース(2006年)がある(注4)。募金活動が「声をあげる少数派」や市民運動を連想させることに加えて、女児の両親がNHK--「ネット右翼」によれば朝日新聞同様左傾したメディアである--の職員であったことも反発の背景であったと考えられる。
(注4) 毎日新聞取材班の『ネット君臨』(毎日新聞社)が経緯を紹介している。
 もう一つ、2005年にネットをにぎわした事例として、人権擁護法案への反対運動をあげておこう。人権団体からは実効性に欠けるのではないかという批判もあったこの法案に対しては、ネット上で強い反対運動が起きた。批判の根拠として喧伝された「危惧」として、人権委員会が朝鮮総連や部落解放同盟、フェミニスト(「フェミナチ」)らによって牛耳られ、「普通の人々」の人権が侵害されるというものがあった。ヘイトスピーチによる被害の回復を目的とした法案に、ここで引用するのははばかられるようなヘイトスピーチ混じりの反対論が展開される、という笑うに笑えない事態である。人権委員の任命は国会承認人事とされていたことだけをとっても荒唐無稽な陰謀論と言わざるを得ないのだが、「声をあげる少数派」への反発、「少数者によって権益を侵害されている普通の人々」という彼らの自己意識をうかがわせて興味深い。また、コミックおよびそれに基づく二次創作の同人誌に対する表現規制への懸念から出発した反対者がこうした陰謀論をとり込んでいったケースが見られることも、「ネット右翼」現象とサブカルチャーとの結びつきをうかがわせる。